近代文化④〈思想〉前編【佐京由悠の日本文化史重要ポイント】

お疲れ様でございます。日本史科の佐京です。
今日は近代文化の4回目、思想の流れを見ていきましょう!

▼前回の記事はコチラ

日本史における近代思想の始まり――啓蒙思想

さて、まず日本史における近代思想の始まりは〈啓蒙思想〉です。

「啓蒙」とは、蒙(=暗闇)を啓く、つまり無知の人を啓発して合理的な知識に導くことを意味します。

具体的には、個人の理性の自立、人格の尊厳の実現を目指すもので、日本においては1873年に結成された明六社がその代表です。「明六」とは、明治6年(=1873年)のこと。

 

Point:西暦と元号
元号→西暦、西暦→元号の変換は、近現代史の学習においてはすぐさまできるようにしておきましょう。
史料問題などでは必須ですし、それだけで答えが絞り込めたりもするのです。
〈明治+1867〉〈大正+1911〉〈昭和+1925〉〈平成+1988〉〈令和+2018〉
平成・令和まで載せましたが、大学入試対策としてはまずは明治・大正・昭和を押さえましょう。

 

さて、この明六社のメンバーですが、初代文部大臣の森有礼、『文明論之概略』で有名な福沢諭吉、philosophyを「哲学」と訳した西周などが知られています。

明六社の機関誌は1874年に創刊された『明六雑誌』ですが、これは翌年の新聞紙条例発布をきっかけに自主廃刊しています。新聞紙条例は自由民権運動で必ず出てくる用語なので、しっかりと押さえておきましょう。

▼自由民権運動についてはコチラ

天賦人権論をもとに発達した「民権論」

フランスの天賦人権論をもとに発達したのが民権論です。

天賦人権論とは、人は生まれながらにして自由・平等であり、基本的人権は権力によって制限されることはないとする考え方で、この考え方を背景に自由民権運動が進行していきます。

自由民権運動は当時の薩長藩閥政府に対して、主に国会開設を求めた運動です。

そのなかでは、ルソー『社会契約論』の漢文訳である『民約訳解』を著わした中江兆民、『民権自由論』やのちに『東洋大日本国国憲按』という私擬憲法を発表する植木枝盛が活躍しました。

 

国家主義をもとに発達した「国権論」

一方、国益や国力の充実を個人の権利よりも優先する考え方をもつのが国権論です。
これはドイツの国家主義をもとに発達し、さまざまな論客が登場します。

 

国粋保存主義

例えば、国粋保存主義。

「国粋」とは、「日本古来の美風」のことであり、政府の欧化政策に対する批判的な立場から1888年に三宅雪嶺や志賀重昂らによって政教社が設立されます。

政教社が発行した雑誌『日本人』では、「高島炭鉱の惨状」が発表され、炭鉱労働者をとりまく納屋(飯場)制度とよばれる合宿所の管理体制の実情が反響を呼びました。

 

陸羯南の日刊新聞『日本』

そして、翌年の1899年には陸羯南によって日刊新聞『日本』が発行されます。
もとの名を『東京電報』といいましたが、1899年2月11日の帝国憲法発布を機に『日本』と改題しました。

ここでは、国民の統一と国家の独立が主張され、ナショナリズムが主張されました。
時を同じくして大隈重信の条約改正交渉が行われていて、外国人判事の大審院任用が『ロンドン=タイムズ』によって暴露されたわけですが、これを訳出して日本に発表したのがこの陸羯南の新聞『日本』でした。

▼井上・大隈の条約改正交渉についてはコチラ

 

日本主義を主唱した高山樗牛

そして、日清戦争後の三国干渉前後に登場するのが、高山樗牛が主幹となり東京博文館が発行した雑誌『太陽』です。

高山は日本主義、つまり日本古来の伝統を重視し、国家と民族に最高価値を置く立場を主唱します。

この『太陽』は、1905年、日露戦争に出兵した夫を思う妻の反戦詩「お百度詣」が掲載されたことでも知られています。

 

三国干渉を機に国権論に転じた徳富蘇峰

さて、いままで国権論を紹介してきましたが、もう一人、1895年の三国干渉を機に新たに国権論に転じた人物を紹介します。そう、徳富蘇峰です。

▼三国干渉についてはコチラ

徳富蘇峰は、熊本洋学校、そして同志社に学び、1887年、民友社を設立します。政教社のちょうど一年前ですね。
徳富はその民友社の機関誌『国民之友』で当時の外務卿・外務大臣の井上馨が推進した極端な欧化主義を伴う条約改正交渉(鹿鳴館外交)を「貴族的欧化」と批判し、「平民的欧化」を説きました。

『国民之友』はその後、蘇峰が国権論に転じたことを機に1898年、『国民新聞』に吸収されていきます。

 

資本主義の成立と社会主義思想の流入

さて、日本で資本主義経済が成立したのは1900年頃、第二次産業革命のころとされています。

▼日本における資本主義成立についてはコチラ

私有財産を前提とした「資本主義経済」

資本主義経済とは、物に対する絶対的な支配権である所有権、つまり私有財産を前提に、自由な経済活動のもとで利潤獲得という利己的な目的を追求するものです。

この経済体制のもとで産業化が進んでくると、やがて資本主義社会には資本家と労働者の経済格差を生じます。

「私有財産」=土地や建物を持たない労働者たちは、みずからの労働力を資本家たちに安価で提供することとなり、資本家たちの自由で利己的な経済活動によって搾取されることとなるからです。

 

生産手段の社会的所有を唱える「社会主義」

そうしたなか、生産手段、つまり土地や建物の私有を禁じ、その社会的所有によって人間の自由と平等を実現しようとする思想が登場します。これが社会主義です。

日本に伝わった社会主義は、当初はキリスト教と結びついたものが主でした。
神の下に平等であるとするキリストの教えと、社会主義の「平等」に親和性があったのでしょう。

事実、日本初の社会主義政党(非合法であり、結社禁止となった)社会民主党の創立メンバーは幸徳秋水をのぞく5名全員がキリスト教徒でした。

 

日本初の合法的社会主義政党「日本社会党」

日本初の合法的社会主義政党はそこから遅れること5年、1906年に設立された日本社会党です。時の内閣は第一次西園寺公望内閣で、この内閣での社会主義融和策におけるできごとでした。

日本社会党は当初は合法政党として成立しましたが、やがて田添鉄二らの議会政策派(普通選挙などを求める)と、幸徳秋水らの直接行動派(ゼネラル・ストライキの決行を主張)の対立が激化し、直接行動派が優位に立って翌年に党の綱領を「社会主義ノ実行ヲ目的トス」と改定したことから治安警察法が適用されることとなり、結社禁止となりました。

治安警察法は資本主義経済が成立した1900年ころに成立した、社会主義・労働運動などを弾圧する法律です。

今回は主に明治期の思想史を概観しました。
次回は大正期以降、昭和戦前期にかけての思想の流れを見ていきましょう!

ではまた。

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