1905年11月15日に生を受け,
1945年広島市内で被爆し,
1951年3月13日に自らその生涯に幕を下ろした詩人,
原民喜(享年45歳)。
被爆体験に基づく様々な作品をこの世に遺し,
その最期は入念に計画をした上で鉄道自殺を遂げました。
その作品は小説「夏の花」があまりに有名ですが,
他にも多くの作品が遺され,それらの一つ一つは今でも我々の心を捕らえて離さないものです。
たとえば,「永遠のみどり」。
「永遠のみどり」ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉したたれ
なお,こちらの作品は岩波文庫『原民喜全詩集』にも掲載されております。
さて,梯久美子氏が丁寧な取材に基づき,
原民喜の生涯を追いかけていく本書。
タイトルの通り「死」「愛」「孤独」の3つを軸に,
極度の繊細さと類稀なる感受性の持ち主としての原民喜が明らかにされていく中で,彼の作品がなぜこんなにも人々を惹きつけるのか,朧げながら見えてくるはず。
身近にある死
広島師範学校附属小学校時代に喪った弟の六郎,原自身が「世界は真暗になって、引き裂かれてしまつた」と語る父の死,高等科一年生のときに亡くした次姉のツル,愛する妻の死,その翌年の被爆経験とそこで目にした数々の死…。
彼の生涯には常に死が身近にあったと言っても過言ではないだろう。そして,幼少期から他人とのコミュニケーションを苦手としていたことや,その豊かな感受性と繊細さを考えると,我々が想像を絶するほどの「生きづらさ」を原は抱えていたのではないか,そう思わずにはいられない。
原民喜の作品,原民喜という人間に対しては
賛否両論あると聞くし,私自身,
「彼はあまりにも弱すぎる人間だ」
そんな評を知人から聞かされたことがある。
果たしてそうなのだろうか。
「原は自死したが、書くべきものを書き終えるまで、苦しさに耐えて生き続けた。繰り返しよみがえる惨禍の記憶に打ちのめされそうになりながらも、虚無と絶望にあらがって、後の世を生きる人々に希望を託そうとした。」(pp.254-255)
と著者の梯久美子氏が語るように,
原の作品は彼が抱いていた静かなる怒りを伝えるのみならず,
我々に何かしらの希望を抱かせるものである。
本書の中で明らかにされていく原民喜という人間。
そんな彼がこの世に遺した作品を,
じっくりと味わう入り口として一読を勧めたい良書。
原民喜に対してある種の嫌悪感すら覚えている人でも,
本書の読了後,もう一度原民喜と向き合ってみてもらいたいと願います。
結びに代えて――「鎮魂歌」
最後に原民喜の作品の中から,
「鎮魂歌」の最後を引用して結びに代えたいと思います。
隣人よ、隣人よ、君たちはいる、ゆきずりに僕を一瞬感動させた不動の姿でそんなに悲しく。
そして、妻よ、お前はいる、殆ど僕の見わたすところに、最も近く最も遙かなところまで、最も切なる祈りのように。
死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは……ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。
僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失った僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。
明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀(さえ)ずるだろう。地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもってそこを通りすぎるだろう。