――なんでアイツが?
急に目の前に飛び出してきた過去。
コーウの方に向かわなければいけない意識が、後ろの方に引っ張られ、どうにもよくない予感がする。
正直、あの時間は悪くなかった。
特別楽しいわけでもなかったけど、縛られないだけでありがたかった。
普通に、そのままの自分を受け入れられる感じがした。
だから忘れようと思っていた。
都合のいいデータだけ残して、リセットなんてできやしない。
気まぐれに顔を出す「普通」の裏には、あまりに多くの異常があって、私はそのすべてに納得がいかなかった。
でも、なぜ今、私の頭はぐるぐる混乱しているのだろう。
コーウを抱いた僧たちが、もう林を抜けようとしている。
ヨネザワの歩くペースが一気に上がる。
ほんとうにこれでいいのか?
これまでの足取りを確認しようと思ったときにはもう、一切が動き出してしまっている。
「どうすんの」
無茶な行動に出ないよう、釘を刺すつもりで言った。
しかしヨネザワの反応は真逆だった。
「もう、出たとこ勝負だな」
そう言って、ヨネザワはすっと息を吸い込み、「おい」とバカでかい声を響かせた。
一斉に、五人の僧がこちらを振り向く。
もう戻れない。
いつもこうだ。
考えなく動くから、気づけば「なるようにしかならない」の空洞に放り込まれている。
しかし、みな警戒の表情を浮かべるなか、コーウを抱いた紫のヤツだけ、なんだか意外そうな顔をしていた。
「お変わりありませんね。10年以上経ちますか? しかし残念ですが、大願さまのお目にかからせることはできません」
「あんなのはどうでもいい。用があんのはお前だけだ。その赤ん坊、こっちに寄こせ」
知り合い?
交渉の余地がありそうなのに、ヨネザワはもう強行体制だ。
しかし、凄むヨネザワをいなすように、向こうは悠然と笑みを浮かべている。
「血を分けた兄弟に、ずいぶん淡泊ですね」
「血なんてもんは、呪いにしかなんねぇんだよ。お前らみたいに小狡い奴ほど、そいつを上手く利用する」
話がよく見えない。
ヨネザワは大事なことをいつも話さない。
大事なことは、ヨネザワの嫌いな過去から作られるものだからだ。
「兄弟? 教祖と? 聞いてないんだけど」
「お前は黙ってろ。そんで、そのガキだ。悪いこと言わねぇから、こっちに渡しな」
頑なに過去を話そうとしない。
私も昔のことを話すのは好きじゃない。
でも、それでいいのか?
自分のなかにだけ押し込めた過去は、そのうち腐って心の全体を侵蝕していく。
そんな気がする。
紫の僧は笑みを崩さない。
「この子は、いわば世界の結び目になるのですよ。世間の不浄を引き受けることで、この子は聖化される。そして、彼に罪を代理させたことへの負い目が、私たちを固く結びつける。あなたも、罪による結束という点で、大願さまと思いを共にしていたはずです」
罪による結束。
今と真逆じゃん。
私たちをつないでいるのは、いまここにある現在だけだ。
現在しかないから、つながっていられた。
でも、本当にそれでいいのか?
「昔のことなんか聞いてねぇんだよ。というか、お前らに拒否権はないの。さっさと渡した方が、お前らのためにもなる」
「そんな話が通ると思いますか?」
「もうこの教団は泥船なんだよ。薬も、人身売買も、バッチリ押さえてある」
「まさかそれが脅しになると? あなたにどう映ろうと、私たちは法に則って活動しています。公安にでも、週刊誌にでも、好きに売ればいいでしょう」
薄ら笑いが能面のように張り付いている。
しかし、出てくる言葉がなんだか世俗じみてきている。
「近いうち……そうだな、三日後だ。お前らは後ろ盾を失うことになる。今すぐそいつを置いて、教団から足を洗うのが身のためだ」
「さすが、お上手だ。血は争えませんね。ですがさっきから、話に何の具体性もない」
「……一月前、光浄連のトップが死んだだろ。長男がその椅子に座ったな。お前らのトップとは旧知だから、そのときは都合がよかったろう。でもな、血は呪いだよ。こうなった時に長男を失脚させようと、ずっと動いてきた連中がいるんだよ」
ヨネザワの揺さぶりに、全員の表情が変わる。
黄色の四人がうっすら不安の色を滲ませ、紫のヤツは少し面倒そうな顔をしていた。
ヨネザワが正確な情報を話しているのかはわからなかった。
おそらく、大半がハッタリなのかもしれない。
大義のための騙し討ち。
その大義の中身を、私はよく知らない。
これでいいのか?
意識の裏で、ずっと誰かが囁きつづけている。
「お前ら、ツイてるよ。たまたまそのガキを運んで、泥船から逃げるチャンスを得られたんだからな。神に愛されてるんじゃないか?」
ヨネザワの顔がいよいよ悪役めいてくる。
どっちが正しいかなんて、実際のところ大した問題じゃない。
これでいいのか?
――結局、私自身が選んだ道かどうか、それだけが問題だ。
どうだろう、私は、ほかのあらゆる時点の私に向かって、今の私を誇れるだろうか?
紫のヤツが何かを口に出そうとした瞬間だった。
視界の外から男が飛び出してきて、がしっと紫の胴を押さえつけた。
今だ。
コーウだ。
あいまいに輝く未来の像が過った。
私の正義の一切は、いま、コーウに対してだけ向けられなければならない。
[連載小説]像に溺れる
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