カルト教団の立ち上げに関与した経緯を告白したあと、女性は長い間沈黙したまま、じっとぼくの目をみつめてきた。
ぼくから非難の言葉を浴びせられることを待っているようでもあり、一片の罪悪感さえ抱いていないようでもある。
彼女の動かぬ視線に、むしろ断罪の対象になっているのはぼくの方なのだという気がしてくる。
「ぼくになぜ話したんですか」
居心地の悪さに、ぼくは話の軸を相手に向けようと思った。
「私も、免罪されたいんでしょうね。自分で自分を善人だと思いたいわけじゃないけれど。関係のない人に判断を下してもらって、悪なら悪として、はっきり自罰的に生きていきたい気持ちがある。
でも、やっぱりどこかで、私は今でも福永の思想の正しさを信じてしまっている。人間を根本的に規定しているのは信仰で、それは言い換えれば自己免罪の形式にほかならない。もっと言えば、集団の中で免罪の形式を共有できるのだとしたら、それは理想的な共同体の地盤になるとも信じている」
ぼくはしばらく、彼女に返す言葉が見つからなかった。
彼女はおそらく、罪悪感を抱くことができない自分に対して、負い目を感じているのかもしれない。
「ぼくの同級生に、浄世光就会が原因で家庭が崩壊してしまった人がいます」
彼女は少しだけ、悲しむような、あるいは憐れむような表情を浮かべた。
「自分が多くの家庭を崩してしまう原因になったことを、頭ではわかっている。私は間違いなく、途方もない悪に加担してしまった。でも、いつまで経っても、実感が追いついてこない。事が大きすぎて、理解することを拒んでいるのかもしれない。そもそも、自分が悪をなしたとは本心から思えていないのかもしれない。私はずっと待っている。私がなしたことに対して、正当な報いを与えてくれる何かを」
実際、ぼく自身も、彼女のなした行為の道徳的な是非について、関心を抱くことができなかった。
ヤナガワサンの運命を決定づけたことの責任を、彼女に問うことにも意味がないように思えた。
「福永さんのことは、どう思っているんですか」
ぼくの最後の質問に彼女は答えず、目を伏せたまま首を横に振った。
彼女の罪の意識は、本質的に彼との関係をめぐる何物かへと向けられているらしかった。
それから、ぼくは再び、浄世光就会の施設に出向くことにした。
教団がその信者に何を与え、何を奪っているのか、あるいは世間一般に何をもたらしているのか――それをふまえて、ヤナガワサンにとって、あるいはぼくにとって、教団の存在が何であるのかを見定めたいと思った。
久々に顔を出したにもかかわらず、ぼくは信者の人たちから温かく迎え入れられた。
初めて訪れたときと同じように、ぼくはワークショップに参加し、老人たちと折り紙に精を出した。
箱庭療法のようなものなのだろうか、各々の参加者が座るテーブルにはボール紙でできた箱が置かれ、そこに折った作品を好きに並べていく。
参加者はそれぞれコミュニケーションを図りながら、さまざまな動物やら花やらを象る方法について、知識を伝播させていく。
夏だからか、かざぐるまがとくに好評で、くるくる回してみてはそれを眺めているばかりの男性もいた。
ぼくの箱には風船とかざぐるま、兜に鶴が脈略なく並んでいる。
そのどれもが、信者の人たちから教えられるままに作ったものだった。
人に何かを尋ねることが苦手で、おそらくそれは彼女のいう信仰であって、そこには何かしら罪の意識が介入しているのだと思われた。
けれども、得体の知れない疚しさに囚われているぼくに対して、いかにも柔和な表情で声をかけてくる参加者たちは、自然とぼくの存在を免罪してくれるように思えるのだった。
おそらくこういう感覚こそ、福永という男が目指したはずのものなのかもしれない。
彼は彼自身の理想をここで達成したのではないか――そういう他人行儀な感想が湧いてきて、少しの間、肺のあたりにぐるぐる留まってから、すっとどこかに消えてしまった。
同時になんとなく、あの図書館の女性は福永と生涯を添い遂げたかったのではないか、という憶測が今さらのように浮かんできた。
[連載小説]像に溺れる
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