お疲れ様でございます。日本史科の佐京です。
第20回の今日は、近代文化の2回め、文学の流れをみていきましょう。
▼近代文化の1回め、美術についてはコチラ
なお、現代文のほうの文学史については代表の羽場先生が勉強法から各論にいたるまで詳細に論じてくださっていますのでぜひそちらもお読みください。
ここでは、日本文化史のなかの〈近代の文学〉の流れを中心に論じてまいります。
目次
1870~1880年代の文学
明治維新を迎え、人々の生活様式も徐々に変化していくなかで、文学には大きくわけて二つの立場がでてきました。
江戸時代の大衆文芸を継承した「戯作文学」
「戯作」とは読本・洒落本・人情本などの江戸時代の大衆文芸の総称です。
この流れを継承したものが戯作文学です。
明治の新風俗である牛鍋屋での世間話を描いた『安愚楽鍋』、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』のパロディでロンドンへの珍道中である『西洋道中膝栗毛』などが知られています。
自由民権運動の宣伝のための「政治小説」
その一方で、自由民権運動の高揚のなかでその宣伝のために政治小説が書かれていきました。
ですから、政治小説に名前のあがる作家たちはそもそも政治運動に参加している人物が多いです。
他にも自由党結成に参加した末広鉄腸の『雪中梅』や、アメリカで出会った女性運動家との語らいを描いた東海散士の『佳人之奇遇』も押さえておきましょう。
▼参考:「大学受験の近現代文学史を攻略する①――明治初期の文学」
人間の内面や世相をリアルに描こうとする「写実主義」
さて、1880年代になるとこれらの立場に対して、人間の内面や世相をリアルに描こうとする写実主義が登場します。
▼参考:「大学受験の近現代文学史を攻略する②――写実主義と擬古典主義①」
坪内はのちに島村抱月の文芸協会にも参加していますから、演劇の歴史でも出てきます。
二葉亭四迷と硯友社
また、坪内の影響を受けて二葉亭四迷が発表したのが『浮雲』。
日本における最初のリアリズム小説といわれます。
『浮雲』では書き言葉と話し言葉の一致を意味する言文一致体が採られました。
尾崎紅葉の『金色夜叉』や山田美妙の『夏木立』が代表作です。
1880年代を中心に、尾崎紅葉と同時期に活躍して東洋思想を根底におく理想主義の作家・幸田露伴から一文字ずつとった紅露時代が現出します。
▼参考:「大学受験の近現代文学史を攻略する③――写実主義と擬古典主義②」
1890~1900年代の文学
感情や空想を重んじる「ロマン主義」
この時代は1894年の日清戦争、1904年の日露戦争と対外戦争が10年ごとに起こります。
青年期に自由民権運動に参加し、その挫折後はキリスト教に入信した北村透谷らによる雑誌『文学界』がその中心となりました。
特に与謝野晶子は当時恋慕の対象であった与謝野鉄幹との恋愛を情熱的に、そして官能的に歌い上げます。
社会の暗黒面までをもありのままに描く「自然主義」
日露戦争が終わると、フランスの小説家エミール・ゾラなどが確立した自然主義文学が日本でも影響力を持ちました。
自然主義は社会の暗黒面までをもありのままに描きだす立場です。
ロマン主義から自然主義へ転向した島崎藤村『破戒』
このように同じ作家でも時期や作品によって異なる思潮とされる場合もありますので、注意してくださいね。
さて、島崎の自然主義文学の代表作は『破戒』でしょう。
信濃の被差別部落出身である主人公瀬川は、幼いころから父より出自を隠して生きよとの「戒」めを受けて育ちました。しかし彼の人生のなかで、解放運動家の女性に恋したり、差別に直面したり、さまざまな出来事のなかで苦悩を深めた瀬川は……という作品です。
江戸時代から続くいわゆる部落差別が残存していた当時の社会の暗黒面をありのままに描いたといえるでしょう。
私小説への傾斜を強めた田山花袋『蒲団』
一方、自然主義文学としてやはり知られる田山花袋の『蒲団』は自然主義のなかでも私小説(主人公のモデルを作者自身とした小説)への傾斜を強めた作品としられます。
このように自然主義は分化し、そして「衰退」していきます。
「時代閉塞の現状」には1910~11年の大逆事件に対する批判も含まれています。
文化史と政治史の結節点として意識しておきましょう。
さて、前編の今日はここまで。
次回は文学の後編として1910年代以降、大正・昭和戦前期の文学の流れをみていきます。