「ルールとか常識とか、そういうものに疲れたか? 家族は信じられないか? 他人が押しつけてくるキマリゴトを、ぶっ壊したくならないか? 俺たちは、そういうものの『外』を探している。『社会』なんて下らん幻想を打ち壊して、新しい人間の集団を作るんだ。お前がそういうものを望むなら、あるいは、それがまだしも『マシ』だと思えるのなら、俺たちのところに来るといい」
はじめ、私に手を差し伸べながら、ヨネザワはそういうことを言った。
そのときはイカつい指に気を取られていたから、ヨネザワがどんな顔をしていたのかはわからない。
きっと眉毛はキモい形をしていたのだろう。
ヨネザワが何を言いたいのかは正直わからなかったけど、たぶんその世界が『マシ』なことに違いはないと思った。
「メシは?」と聞いた私に、ヨネザワは親指を立てて「好きなだけ食えばいい」と答えた。
だけど今思えば、そのときの親指の角度もキモかったし、もっと疑うべきだったのかもしれない。
でも実際、それからの生活がマシだったことは間違いない。
ヨネザワの表情はしばしばキモかったが、マツシマの料理はうまいし、たぶん栄養バランスもいい感じなのか、前より体調もよく感じる。
カイドリはよくわからないが、一緒に行動していてイヤな感じはしなかった。
たぶんお互いに興味がないし、お互いにそれでいいと思っているからなのかもしれない。
ただ、自分が手伝っている仕事が何なのかは知りたいと思った。
自分がなんでメシを食えているのか、よくわからないのは不気味だった。
どう考えても、まともな仕事じゃないのは明らかだったし。
それがヨネザワの言う「ルールや常識の外」とどういう関係があるのか、おそらくヨネザワのなかでは繋がりがあるのかもしれないが、こっちにはまったく見えてこない。
留守の家を転々として暮らしているような、根っこの抜けた感覚があった。
朝、食卓でテレビを見ていると、70代の女性が自宅の火事で意識不明の重体、というニュースが取り上げられていた。
焼け跡周辺の映像が流れた瞬間、心臓が弾け飛ぶような衝撃が走る。
この前、遺品整理に行った家だ。
間違いなかった。
近隣からは爆発音が聞こえたという報告があったらしく、警察は事故の線で原因を捜査しているという。
新聞を読んでいるヨネザワに、「ねぇ、これ」と指してみる。
映像に視線を移したヨネザワの目は、にぶい光をたたえたまま変化することがなかった。
「ガスかなんかかねぇ」
とぼける風でもなく、まるっきり他人事みたいにヨネザワは言った。
「いや、この前行った……」
そう言った途端、ヨネザワは溜め息をついて、つまらなそうに親指の爪を人差し指で擦りはじめた。
後ろから突然、肩に手を置かれる。
振り返ると、さっきまでキッチンにいたはずのマツシマが、いつのまにか背後に立っていた。
「過ぎた話をしても、何もいいことはないわ」
ぐにゃっとした福笑いみたいな、徒労感のようなものが全身を襲う。
だるい体に、心臓だけがやたらと活発に動いている。
しかしなぜだか、罪悪感はどこを探しても見つからない。
彼女が重傷を負った原因を作ったのは私なのに、申し訳なさの感覚がすっぽり抜け落ちてしまっている。
ただ、自分が何かグロテスクな、途方もなく大きな意思に巻き込まれてしまっている、そういう不気味なざわめきだけがあった。
胃が消化活動をボイコットしはじめて、目の前に並ぶ朝食がどれも吐き気を誘う。
「大丈夫? 食べないと、倒れちゃうわよ」
母めいたマツシマの言葉が余計に私を混乱させて、一体、この家が何なのか、今さらながら訳がわからなくなる。
気づくとカイドリがいつのまにか、目の前で朝食を食べていた。
とりあえず、なにもかも味噌汁で流し込むけれども、結局そのあと全部トイレで吐いてしまった。
地に足がつかないまま、その日の仕事に出発する。
自分が誰で、どこで何をしているのか、全部がバラバラになってしまった感じがした。
[連載小説]像に溺れる
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