お疲れ様でございます!日本史科の佐京です。
早いものでこの連載も第18回め。なんと次回が最終回です(><)!
最後までよろしくお願いいたします!
さて、今日は京都駅から電車で数分と抜群のアクセス、そして抜群の知名度を誇る伏見稲荷大社をご案内いたします!
伏見稲荷大社があるのはその名も稲荷山の麓。その西麓一体を含めた約26万坪が境内です。
また、全国に約3万社あるといわれている「稲荷神社」の総本宮です。みなさんご近所にもあるでしょうか。
伏見稲荷大社といえば、朱色に塗られた無数の鳥居が有名ですが、本記事ではその意味もご紹介しますので是非最後までお付き合いください!
まずは歴史から見てみましょう。
目次
【歴史】伏見稲荷大社の歴史
(711) | 秦伊呂(侶)具が稲荷山の三ヵ峰に創祀 |
(827) | 東寺の守護神となる |
(1000) | 清少納言『枕草子』に登場 |
(1467) | 応仁の乱→(1468)本殿が焼亡 |
(1499) | 本殿再興 |
(1589) | 豊臣秀吉の寄進により楼門造営 |
* | |
(1909) | 古社寺保存法により本殿が国宝に指定 *現在は重文 |
(2011) | 御鎮座1300年奉祝大祭 |
伏見稲荷大社の始まり
伏見稲荷大社の始まりは、平城京遷都の翌年、711年秦伊呂具が稲荷山の三つの峰を神として信仰したのが最初とされています。
この秦伊呂具という人物は、このシリーズで何度か登場している秦氏の人物で、その氏神である松尾大社を造営した秦忌寸都理の弟とされています。
秦氏の分家ということですね。
ちなみに秦氏の氏寺は、広隆寺でした!
これについてもここで扱いましたよね。
▼松尾大社についてはコチラ
▼広隆寺についてはコチラ
はじめは農耕神として信仰された稲荷神
祀られている稲荷神は、はじめは農耕神として信仰されました。
「稲荷」の由来は諸説あるものの、山城国風土記の逸文などでは「イネがなった」ところから、「伊奈利」とされており、現在の表記に変化したとの説がわかりやすいのではないでしょうか。
そこから五穀豊穣の神として、そしてさらに良縁祈願や病気平癒(後述)などの信仰が広まり、現在では商売繁盛や芸能上達、交通安全など幅広い「守備範囲」を持っています。
713年に諸国に編纂が命じられ、常陸・出雲・播磨・豊後・肥前のものが現存し、出雲のみ完本で残っている。
平安時代には東寺の守護神に
さて、伏見稲荷大社は平安時代になると東寺の守護神となったようであります。
東寺と伏見稲荷の関係はこのあと説明するとして、そもそもお寺と神社がなぜ関係するの……? というのは、もう大丈夫ですよね。
そう、神仏習合です。
神仏習合については、八坂神社の記事のフカボリで説明しました。
東寺は、空海が嵯峨天皇から託された真言宗寺院。
この真言宗の神であるダキニ天と稲荷神が習合されることで、東寺の守護神となりました。
よってこれ以降、真言宗の拡大と同時に稲荷信仰も広まっていくことになります。
▼空海についてはコチラ
応仁の乱と伏見稲荷大社
中世には応仁の乱で、伏見稲荷大社も大きな被害を受けます。
時に勃発の翌年、1468年には本殿が焼亡し、1499年に再興されています。
▼応仁の乱についてはコチラ
秀吉も信仰した伏見稲荷大社
16世紀になると秀吉がこの伏見稲荷大社を信仰します。
秀吉は1589年、母である大政所の病気平癒を祈願して、楼門を造営します。
これは伝承とされていましたが、1973年の調査により史料から「天正17年」つまり1589年に秀吉の寄進により造営されたことが史実として確認されました。
近代には古社寺保存法という法律によって本殿が国宝に指定され、1950年以降は文化財保護法によって重要文化財とされました。
その後、1929年に国宝保存法となり、さらに法隆寺金堂壁画焼損を機に議員立法として制定された1950年の文化財保護法に引き継がれる。
なお、文化財保護法制定時に1919年の史蹟名勝天然記念物保存法と1933年の重要美術品等ノ保存ニ関スル法律も統合された。
文化財保護法では従来の「国宝」を、「重要文化財」と「国宝」に分けた。
【みどころ】本殿・千本鳥居
本殿
大型の社殿で、「五間社流造」によって造られています。
「流造」とはそもそも神社建築様式の一つで、屋根が反り、屋根が前に長く伸びて庇になったものを指します。
この流造を採用する神社は多くありますが、伏見稲荷大社のそれは一味違っています。
「五間」とは、柱の間の数が5であることになり、非常に規模が大きいものになっているということです。
五間社流造については図で説明しているこちらの動画をもしよろしければご参照くださいね。
千本鳥居
伏見稲荷大社は朱塗りの鳥居が大量に奉納されていることが有名ですよね。
ここで写真を撮っている人が必ずいます(笑)
この鳥居たちは、願いが「通る」「通った」という意味で、伏見稲荷大社に感謝する人が奉納したものです。
朱塗りなのは「朱」が、「赤」「明」「茜」に通じ、明るいイメージを持ち、さらに魔除けの意味もあるんだとか。
ちなみに朱の原材料は水銀で、木材の防腐剤として使われてきました。
江戸時代に広まったとされる鳥居の奉納、現在では1万本以上あります。全然千本じゃない!(笑)
【周辺スポット】東福寺・泉涌寺
東福寺
九条道家が建立した寺院。
東大寺と興福寺から1文字ずつとり創建し、正式名称は慧日山東福寺といいます。
京都五山第4位。
▼京都五山についてはコチラ
ちなみにこの九条道家という人は鎌倉幕府第4代将軍の九条頼経の父です。
泉涌寺
東山(泉山)泉涌寺。
皇室の菩提寺として「御寺」とも呼ばれます。
平安時代の創建と伝えられることもありますが実質的には俊芿とされています。
皇室の菩提寺であり、「門跡寺院」の一つです。
伏見稲荷大社の基本情報
基本データ | |
・アクセス: | 市バス「稲荷大社前」バス停下車徒歩7分 |
JR奈良線「稲荷」駅下車すぐ 京阪本線「伏見稲荷」駅下車徒歩5分 | |
・拝観料: | なし |
・拝観時間: | 24時間 |
*新型コロナウイルス流行前の情報です。 |
★★「伏見稲荷大社」についての解説動画はコチラから!
『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』
〔画像:京都フリー写真素材〕
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の京都の歩き方」
第1回 清水寺編
第2回 六波羅蜜寺編
第3回 八坂神社編
第4回 智積院編
第5回 三十三間堂編
第6回 【特集】豊臣秀吉ゆかりの地
第7回 南禅寺編
第8回 【特集】琵琶湖疏水~初めて電車を走らせた京都の電化事業~
第9回 平安神宮編
第10回 金閣寺編
第11回 龍安寺編
第12回 仁和寺編
第13回 銀閣寺編
第14回 広隆寺編
第15回 【特集】嵐山周辺
第16回 【特集】歴史の舞台~応仁の乱・聚楽第・寺田屋・無鄰菴~
第17回 平等院~この世に「再現」された極楽浄土~
第18回 伏見稲荷大社~願いが「通る」圧巻の千本鳥居~