お疲れ様でございます!日本史科の佐京です。
今日は、平等院をとりあげてご紹介します!
平等院は、大学受験日本史では「国風文化」という単元で主に登場します。
よろしければこちらもご覧くださいね。
▼国風文化についてはコチラ
目次
【歴史】平等院の歴史
さて、まずは平等院の歴史から見てみましょう。
(1052) | 「末法」初年 藤原頼通、父道長から譲られた別荘を寺に改める |
(1053) | その阿弥陀堂として鳳凰堂を建立 その他多くの伽藍が建てられる |
(1180) | 以仁王の令旨により、源氏が挙兵→源頼政が敗死 ※平等院で自刃 |
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(1336) | 足利軍と戦う楠木正成が平等院周辺に放火→多くの伽藍が消失 |
(1485) | 山城国一揆 |
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(1698) | 宇治大火 |
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(1902~05) | 鳳凰堂、「明治修理」 |
(1950~57) | 鳳凰堂、「昭和の大修理」 |
(1951) | 鳳凰堂と阿弥陀如来像が国宝に指定 → 10円硬貨のデザインに採用 |
(1994) | 「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界文化遺産に登録 |
歴史だけで随分ボリュームがありますね(笑)。
ここでは古代・中世に的をしぼってお話ししましょう。
もともとは藤原氏の別荘だったものが道長の時代に子の頼通に譲られ、寺院に改められたのが最初です。
平等院の誕生に関する一つの重要なキーワードとして、「末法」があります。
末法思想と藤原氏
釈迦入滅後1000年間を正法、その次の1000年間を像法というが、そのあとの「10000」年間を末法という。
釈迦の教え(教)と正しい実践(行)、その結果としての悟り(証)が揃っているのが正法、証が欠けた像法、行と証ともに欠落した末法へと衰退していくという考え方。
日本では1052年が末法に突入する年であるとされた。
当時の権力者は藤原頼通、あの藤原道長の息子です。
藤原氏といえば摂関政治によって国政を掌握していたことで知られていますが、その前提には自分の娘を天皇の妃とする外戚政策がありました。
▼藤原氏の外戚政策についてはコチラ
藤原道長はその中で4人の娘を天皇の妃としてその地位を確立しました。
ただ、上掲の動画でも述べている通り、その息子である頼通はだれの外祖父にもなれなかったわけです。
当時の権力者である上級貴族たちは平安時代の前半以降は現世利益を基調とする密教を信仰していたわけですが、頼通はもう「現世」で「利益」を得られなくなってしまったわけです。
そうしたらどうでしょう、せめて死んだあとには幸せになりたいですよね。
そこで浄土教→阿弥陀信仰というのが出てくるわけです。
このように整理しておくと、平安時代の文化と政治を結び付けて理解することができます。
そしてまさに浄土教における阿弥陀如来像を安置しておくための阿弥陀堂を平等院に設けたのが、鳳凰堂、ということになるわけです。
源頼政の自刃
時は移って平安末期。
1180年、平氏政権に対し、後白河法皇の皇子である以仁王が令旨を発して源氏が挙兵します。
源頼政はこの以仁王を奉じて平氏を攻めますが失敗。
この平等院のある宇治の地で自刃することに相成りました。
平等院の敷地内には頼政が軍扇を広げて辞世の句を詠んだ「扇の芝」、そして塔頭の一つの不動堂の境内には頼政の墓があります。
ちょうど鳳凰堂の裏手にありますので、ミュージアム鳳翔館の帰りに意識して見つけてみてください。
また5月26日はこの頼政が自刃した日で、「頼政忌」の法要が執り行われます。
頼政の辞世の句
埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける
山城国一揆
平等院は室町時代の山城国一揆でも登場します。
応仁の乱後も争いが継続していた畠山氏を、両派とも国外に追放させた。
その後、住民の支持を得て8年間の自治を獲得した。
この一揆について記した、大乗院寺社雑事記にはこのように出てきます。
(文明十八年二月十三日)一、今日山城国人、平等院に会合す。国中の掟法猶以てこれを定むべしと云々。凡そ神妙。但し興成せしめば天下のため然るべからざる事か。
1486年、山城国の国人たちが平等院で会合し、山城国を治めるための掟をさらに定めるとのこと、これは感心なことだが、これ以上盛んになると世の中にとってはよくないことになるだろう、というようなことを言っています。
国人とは元地頭などの有力武士のことで、在地に経営基盤をもち領主に成長したものです。
そんな有力者たちが平等院で話し合い、畠山氏を追放したのちの掟を定めたというわけです。
時代は応仁の乱後であり、旧来の幕府権威が失墜した下剋上、実力主義の時代でした。
そうした中で山城国の住民たちは国人たちを支持し、8年間の自治を獲得したというわけですね。
そんな歴史のなかにも、平等院は登場するわけです。
【みどころ】平等院阿弥陀堂(=鳳凰堂)
1053年に建立された平等院の阿弥陀堂。
屋根に一対の鳳凰があしらわれ、また建物自体が、鳳凰がはねを広げた姿に見え……なくもないということもあり、江戸時代ころから「鳳凰堂」と呼ばれるようになります。
安置されているのは定朝作の阿弥陀如来像。
このころ、先述の通り浄土教が流行している時期ですので、仏像も寄木造によるものが流行しています。
これについては国風文化についての記事(後編)で取り上げていますのでご覧ください。
▼国風文化についてはコチラ
さて、その阿弥陀如来像の周りには小さい雲中供養菩薩が浮いて(壁につけられて)います。
雲中供養菩薩は一体一体違う形をしていて、ミュージアムでも間近で見ることができます。
独特の可愛さがありまして、写真集まで発売されています(笑)。
もちろん、「買い」ですよね!
ぜひ推しの雲中供養菩薩さんを見つけてみてください。
【周辺スポット】平等院の周辺スポット
紫式部石像
宇治は『源氏物語』「宇治十帖」の舞台でして、光源氏のモデルの一人である源融の別荘があった地でもあります。
JR宇治駅から平等院へ向かう途中、宇治川沿いにこの石像がありますので見つけてみてください。
萬福寺
江戸時代に新たに伝わった禅宗である黄檗宗の寺院です。
黄檗宗は、明の隠元隆琦が江戸時代に日本に伝えた宗派。
宇治駅から電車で3分、その名も黄檗駅下車!
中国風の伽藍でほかのお寺とは違う雰囲気を感じることができます。
【フカボリ】極楽浄土の再現と鳳凰堂の落書き
この世に再現された極楽浄土
さてこの平等院、末法が始まる時期に造られたということもあり、極楽浄土や阿弥陀如来に対する「思い」が如実に表現されています。
この図は宇治川をはさんで、平等院、そして県神社、宇治神社、仏徳山(大吉山)の山頂が一直線で結ばれることを示したものです。
そして、この直線の仏徳山の山頂がわの延長線は夏至の日の日の出の方向に、逆に県神社の方向への延長線は冬至の日の日没の方向にのびています。
つまり、夏至の日の日の出の時刻には平等院鳳凰堂の阿弥陀如来に日光がスポットライトのようにあたるということです。
これはたまたまではなく、以前の記事でも紹介した自然暦という緻密な計算に基づいて設計されたものです。
▼自然暦については広隆寺の記事で紹介しましたね。こちらもぜひご覧ください。
また、宇治川を三途の川、仏徳山を須弥山(古代インドの世界観で、聖なる山)に見立てているという説もあります。
この説の通りだとすれば仏徳山の三途の川(宇治川)をはさんで手前にあるので、まさに平等院は「あの世」に一番近い「この世」ということになります。
平等院鳳凰堂の落書き
さて、いままで平等院のすばらしさについて書き連ねてきたわけですが、この平等院、つくったのは誰でしたか。
藤原頼通!
いや、違いますよ、彼は貴族だから「自分では」つくらないでしょう。
平等院を「つくった」のは藤原氏が持っている荘園の農民たち。
名もなき彼らが徴発されて藤原のためにこの建物をつくらされるわけです。
なんか、安いなぞなぞをフッかけられたような気分でしょうか。
近年の調査で、平等院鳳凰堂を建てた人々が描いたと思われる落書きが発見されました。
この農民たち、字はかけませんので、大通りをはだしでかける人の絵、苦痛の表情を浮かべる貧民の絵、そんな落書きがされているのです。
平等院は、貴族である頼通の極楽往生のためにつくられたものですが、そこに使役され従事したのは名もなき下層民たちです。
みなさんが教科書で習う豪華絢爛な建物は、こうした名もなき人たちからの搾取、収奪によって成り立っている。
「文化」史を学ぶとき、少しだけでいいのでこの話を思い出してみてください。
なんで?って?
だって、それは、平等院が「平等ではない」世の中でつくられたってことなんですから。
平等院の基本情報
基本データ | |
・アクセス: | 京阪電車宇治線「宇治」駅下車徒歩7分 |
JR奈良線「宇治」駅下車徒歩8分 | |
・拝観料: | 公式サイトへ |
・拝観時間: | 公式サイトへ |
*新型コロナウイルス流行前の情報です。 |
★「平等院」についての解説動画はコチラから!『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』
〔画像:京都フリー写真素材〕
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の京都の歩き方」
第1回 清水寺編
第2回 六波羅蜜寺編
第3回 八坂神社編
第4回 智積院編
第5回 三十三間堂編
第6回 【特集】豊臣秀吉ゆかりの地
第7回 南禅寺編
第8回 【特集】琵琶湖疏水~初めて電車を走らせた京都の電化事業~
第9回 平安神宮編
第10回 金閣寺編
第11回 龍安寺編
第12回 仁和寺編
第13回 銀閣寺編
第14回 広隆寺編
第15回 【特集】嵐山周辺
第16回 【特集】歴史の舞台~応仁の乱・聚楽第・寺田屋・無鄰菴~
第17回 平等院~この世に「再現」された極楽浄土~