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不採用から営業成績一位へ。逆境を跳ね除けたサラリーマン時代
――就職のときのエピソードを聞かせてください。
上原:
就職活動のときは、大学までずっと体育会系だったのと、大手の会社への憧れもあったので、体育会系で稼げて勢いがあるところを受けようと思っていました。
アルバイトを辞める1ヶ月くらい前から面接には行き始めていたんですが、最初に入った会社、実は不採用でした。でもその後、ご縁もありカナダにいた際に出会った友人の協力があり、もう一度面接をしてもらえたんです。
ラストチャンスを掴み採用してもらえたのですが、その時に「まずは2ヶ月間の契約社員から。ただし、契約社員の間に戸建営業で一棟も売れなかったら契約解除」という条件で入らせてもらいました。試用期間として採用された感じです。
――そこから正社員になったわけですね。
上原:でも実は、最終日までに契約を取ることができなかったんです(笑)。
会社に呼ばれて「結果出てないなあ」という話になって、契約終了……という流れになったとき、「もう一回やらせてください」とお願いして何とか入れてもらえました。
――「粘り勝ち」のような感じだったのですね。その後、正社員になってからはどうでしたか。
上原:そこからがまた大変でした。周りの新入社員と同期たちはみんないわゆる「一流大学」卒業だし、やはり仕事ができるんですよ。一方、僕はタイピングすらできない状況。(笑)
それでも、自分にできることをするしかないので、結局1年半ぐらいずっと毎日朝から夜まで外に出て、駅前や道に歩いてる人達に声かけをし戸建の販売営業をしていました。そうしたら、あるときピンチヒッターで初めてのお客様をご案内するチャンスがあって、最終的に契約していただけて、そうしたらその2日後ぐらいにもまた案内するチャンスをもらえて、そこでも契約していただいて……という感じで、気づいたらかなりのお客様に契約していただけました。
「周りの人に沢山協力してもらって、沢山の迷惑をかけて、多分一番怒られた社員でした(笑)。」
――結果に繋がった理由を振り返っていただけますか?上原:
ずっと競技していた分、負けず嫌いな部分も人並み以上にあって、「数字が命、結果が全て、とにかくやるしかない」と思ってがむしゃらに日々を送っていました。外で営業していて、精神的にきついことは沢山ありましたが、「これもすべて修行だな」と思いながらやっていた記憶があります。
周りの人に沢山協力してもらって、その分沢山の迷惑をかけて、一番怒られていた社員でした(笑)。それぐらいガツガツやられていても、めげずにやっていたおかげで多くのことが重なって、良い形になったのだと思いますね。
沖縄への思いと「ゴミ拾い」をし続ける理由
――沖縄に戻ってきてからを振り返っていただけますか?上原:
沖縄に戻ってきて、最初は沖縄にある大手の会社に入ったのですが、思っていたのと違い、すぐに退社し沖縄に触れられるような環境で仕事をしていきたいと思いました。その後、大学時代の陸上の監督の息子さんが立ち上げられた会社のお手伝いなどを経て、今はフリーランスとして夏のシーズンはマリンスポーツの仕事をしたり、夜は仲間たちとみんなで共同経営しているバーに立ったりしています。
今後はまたマリンスポーツの活動範囲を広げていこうと動いていたり、新しい事業も含めていろいろと展開は考えてはいます。
――Instagramでゴミ拾いのストーリーズをほぼ毎日上げていらっしゃいますね。
上原:ゴミ拾いは仕事としてではなくて個人的にやっています。やっぱり沖縄含めて自然を綺麗に保っていたいというか、地元の海を守りたいという気持ちで。
「コンビニや公園、どこかに行くついでに拾って捨てる」という感覚でゴミ拾いを実行しています。ゴミ拾い自体、心もすっきりするし、福を拾い集めていると自分で感じているのでマインド的にも非常に良いと思っていますね。
ゴミを少しでも拾っているのをInstagramなどで上げていれば、見てくれている人にちょっとした影響が与えられるかもしれないという思いと、Instagramを通して宣言していたら自分の中でも継続できるという思いから、ストーリーズを更新しています。
――沖縄のどんなところに愛着を感じていますか?
上原:まずは沖縄ならではの空気感が好きですね。沖縄にはエネルギッシュな人がとても多いですし、沖縄独特の自然と歴史も大好きです。
東京でサラリーマンをしていた時期は常に時間に追われていた感覚があったのですが、沖縄に帰ってきてからはあまり時間に追われるということもなく、時間の流れもスローなので緩やかですね。
そういう部分も含めて沖縄には特有の空気感があって、やっぱりここに帰ってきてからは人間らしく生きていられているなという感覚があります。
沖縄はどこか空気も違うし、空も近いし沖縄独自の文化がある。今後はそうした文化や歴史、工芸も含めて様々な形で沖縄に携わっていきたいと思っています。
沖縄の良いところを守りつつ、現代的なものと融合させながら表現していきたいですね。