「やながわさんは、あの団体の集まりに行ったことはあるの?」
口をついて出た疑問に、ヤナガワサンは眉間に皺を寄せながら「あー」と低く答えた。
「実際ヤベえんだけど、どうヤバいのかうまく伝えらんね」
そう言って、半分以上残っていたコーラを飲み干し、ドリンクバーに向かっていった。
近くに座るカップルが、バイト先についての愚痴を互いに漏らしている。
それぞれ別の話をしているのに、感情は共有されているようだった。
ぼくとヤナガワサンは、いまだに何一つ共有しているものがないように思える。
戻ってきたヤナガワサンの手には、またコーラの入ったグラスが握られている。
「さっきの続きだけど、自分を認めてくれる場所って考えると、宗教って一番強いというか……やながわさんが言ってる『いてもいい証明』そのものなんじゃないかなって」
宗教という言葉に、周りの空気が張り詰めた気がした。
テニスの集団の話すトーンが少し落ちている。
「まぁ、そうなんかなぁ。でもアレだ、儀式みたいなののノリがついてけないっていうか」
何か具体的な体験を思いだしたように、ヤナガワサンの顔にはっきりと嫌悪感が浮かぶ。
それを打ち消すように、コーラをまた、一気に半分くらい流し込んだ。
儀式を想像しようとするが、暗い空間のなか多くの人間たちが同じ祈りの言葉を口にし、溶けるような熱気に包まれる……そういうイメージが漠然と湧くだけだ。
「でも、場を作るには儀式が大切なんじゃない? 特殊な空間を共有するというか……儀式を通してそこが特別な場所になるから、証明の重みも増すというか」
店内に、ぼくの言葉が変に響いている気がした。
ヤナガワサンは頬の肉を奇妙に寄せ、口元を歪めて思案する。
「でもめっちゃ金取るしなぁ……いや、金払ってるから特別だと思えるんか? わかんね」
そう言って、ヤナガワサンは再びコーラを飲み干し、ドリンクバーに向かう。
なんだかいまいち、話が噛み合っていない気がした。
ぼくのイメージする宗教と、ヤナガワサンが身をもって経験している宗教とは、まったく異なるものなのかもしれない。
「信仰で人は救われると思う?」
ヤナガワサンが戻るやいなや、ぼくはそう切り出した。
彼女にとっての宗教がどのようなものなのか、知らなければならないと思った。
「何だよ急に。お前が勧誘すんのかよ。そりゃ、救われる人もいるし、そうじゃない人もいるだろ」
ヤナガワサンは退屈そうに答えながら、大きめの音を立ててグラスを置いた。
「ぼくは自分が、生まれた時から何か信仰を持っていたらよかったと思うことがある。周りに受け入れてくれる人がいなくても、最後の最後で神様が認めてくれる。そういう、大きなものの存在を感じられるって強いと思う」
「そんならどっか通えばいいじゃん」
ポテトを口に運びながら、間髪入れずにヤナガワサンはそう返してくる。
その唇の動きが、急に何やら未知の生命体のように映った。
「いや、今から信じられるとは思わないし……」
「なんなんだよ。つーか逆にさ、何なら信じられる? 何が確かだ?」
久々にまっすぐ目が合った。
片方のまぶたが痙攣していて、やっぱり異様な感じがする。
そうでなくとも、いきなり核心的なことを問われ、ぼくは答えに詰まってしまっていた。
そもそも、ぼくの中に答えなど存在していないのだ。
「わからない。周りが『そうだ』っていうことに、そうなのかって思って乗ってるだけだ」
いつのまにか店内には客が増えていた。
ぼくはその他大勢のうちの1人に過ぎず、自分の言葉が無意味に滑っていく気がする。
「私もわかんないんだけどさ」
ヤナガワサンが窓の外に視線を向ける。
「音が聞こえるんだ」
「音?」
「昔から、イラッとした時とかに。ギャンギャン、エレキギターみたいな。頭痛くなるからやめて欲しいんだけど、なくならない」
「幻聴ってこと?」
「いや、今思ったんだけど、逆にこれはガチで存在してんじゃねっていう。むしろ一番リアルっつーか」
自分を苛む不快な音だけが、確かに存在している。
なんだか捻くれたデカルトみたいだ。
「なんか、ロックっぽいね」
ぼくの言葉が聞こえなかったのか、ヤナガワサンはこちらに視線を向けることなく立ち上がり、喫煙ルームの方に向かっていった。
戻ってきたヤナガワサンは、いきなり勢いよく椅子にもたれかかると、バチンと机を叩いて宣言した。
「やっぱ私、学校辞めて家出るわ。それが本当だと思う」
「え、なんで急にそうなったの」
ヤナガワサンの表情はいやに晴れやかだ。
一方のぼくは、「学校辞める」という言葉が何度も頭の中で反響している。
「うまく言えないけど。そうするのが自分にとってのリアルっつーか。しるしがないのが、逆に自分のしるしなんじゃねって」
わかるようで、まったくわからなかった。
それはほとんど、居場所がないことが居場所である、と言っているようなものだ。
「でも、高校くらいは出ておいた方が」
「いや、だから辞めんじゃん。つーか辞めるのって親の同意いるよな? 退学になればいいんか」
言葉が届かない感覚に、胸が締めつけられる。
テーブル越しのヤナガワサンが、すでにぼくとは違う世界にいるように思えてくる。
ぼくはおそらく、ヤナガワサンの将来を案じているのではなく、彼女に会えなくなることが嫌なのかもしれない。
「そうだ。万引きするからさ、お前、すぐ店の人にチクってよ。万引きで捕まれば退学だろ」
ことさら大声で万引きなどと口にするものだから、周囲の客があからさまに視線を向けてくる。
「いや、無理だよそんなの」
「んだよ、じゃあどうしろってんだよ」
トーンを落として、ヤナガワサンは鋭くぼくをまなざした。
テーブルに置かれた右手が、強く握られている。
何か彼女にとって、重要なものが賭けられているのだと思った。
「人に迷惑かかるのはダメだし、そもそも退学なんてしてほしくないし」
当たり障りのない言葉しか、ぼくの口からは出てこない。
「つまんね」
そう言って、ヤナガワサンはまた窓の外に視線を向け、それきり黙り込んでしまった。
重たい空気のなか、ぼくは塾の時間が迫っていることを理由に、ヤナガワサンをその場に残して店を出たのだった。
[連載小説]像に溺れる
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