お疲れ様でございます!
第14回目の今回取り上げるのは、国宝第1号に会える寺院!
蜂岡山広隆寺でございます。いろいろと謎の多いお寺ではありますが、まずは歴史から見ていきましょう。
目次
【歴史】広隆寺の歴史
(603) | 秦河勝が「聖徳太子」から仏像を得る→秦河勝が建立か(『日本書紀』) *創建当初から現在の場所にあったかは不明 |
(622) | 「聖徳太子」没→供養のため建立か(『広隆寺縁起』) |
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(818) | 火災で全焼 |
(836) | 道昌(空海の弟子)が再建=中興の祖 |
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(1150) | 再び火災 →二度の火災で仏像は被害を免れた |
(1994) | ユネスコの世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつに |
(2007) | 科学調査により銀閣には銀箔が貼られていなかったことが判明 |
広隆寺創建には諸説ある
まずは創建ですが、これには諸説あるのです。
上記年表では『日本書紀』と『広隆寺縁起』から代表的なものを取り上げました。
このなかで『日本書紀』によると、秦河勝が「聖徳太子」から仏像をもらった、そしてその仏像を安置したのが広隆寺、とされるのですが、この「聖徳太子」がクセモノなのです。
その卓越した能力などから「聖徳太子」と称されたとされるも、その実在性に疑義を唱える説も根強い。
すなわち、用明天皇の皇子(厩戸王)としては実在するが、「聖徳太子」と称されるような超人的な能力をもった人物であったということそれ自体が「信仰」であるとするものである。
本稿ではこのような事情から、聖徳太子には「」をつけて表記することとした。
秦氏は山背国葛󠄀野郡を本拠とし、現在の京都府に関係の深い氏族であり、関連する神社仏閣も多い。
河勝は6世紀後半から7世紀前半の人物とされる。
▼秦氏や飛鳥文化について、詳しくはコチラ。
どちらの説を採るにせよ、創建のしばらく後の9世紀、11世紀には火災に見舞われていることがわかっていますが、火災では仏像は被害を免れたといいます。
【みどころ】広隆寺のみどころ
楼門
1702年、徳川綱吉の元禄時代に建立された正門で創建当初のものではないのですが、立派な門です!
▼徳川綱吉の時代についてはコチラ
霊宝殿
貴重な仏像ズラーっと並ぶ、うす暗い宝物館です。
多くの仏像が並ぶなかでやはり注目すべきは半跏思惟(弥勒菩薩)像です。
詳しくはフカボリでお話ししますね!
さて、その向かいに鎮座するのが十一面千手観音像です。
十一面観音と千手観音を合わせた、すなわち顔も腕もたくさんあるほとけさまです。
しかも平安時代のものですので、欠損もあったりしますが、それこそ長い間人々の信仰や声を受け止めてきた、その証なのだなぁと感じさせられます。
非常に大きい仏像ですので迫力もあります。
【周辺スポット】広隆寺の周辺スポット
蚕ノ社(木嶋坐天照御魂神社)
はい、正式名称は「このしまにますあまてるみたまじんじゃ」と読みます。
長いですね。
こちらも秦氏ゆかりの神社でございまして、こちらの神社では三柱鳥居が有名です。
三柱鳥居というのは文字通り、三つの柱をもつ鳥居です。
上から見ると△の形になっています。
実はこの形には秘密がありまして、上からみた三角形、各角から二等分線を引っ張ると夏至の日の出(イ)・日没(ア)の方向に当たるのです。
さらに地図上では(イ)の方向には四明岳(比叡山の一峰)、(ア)の方向には修験道の聖地である愛宕山、さらに逆向きに線を延長すると伏見稲荷大社(エ)、松尾大社(ウ)に当たるのです。
松尾大社も伏見稲荷も秦氏ゆかりの場所として知られます。
このように緻密な計算の上に建てられたのがこの神社なのです。
ある地点から見て特定の山や建物に春分・秋分や夏至・冬至の日の出・日没が観察できるような配置のことを自然暦といいますが、まさにこの蚕ノ社はこの自然暦を生かしてつくられたといえるでしょう。
三柱鳥居の近くまでいかれた際にはぜひ、この話を思い出してみてくださいね。
東映太秦映画村
東映の撮影所に隣接するアミューズメント施設です。
なかでもう本当にいろいろなことができちゃう。
5300m³の江戸の町が再現されており、そのなかでコスプレをして闊歩することができたり、江戸の町のなかで開催されているさまざまなイベントに参加できたり。
子どもから大人まで楽しむことができるテーマパークです。
【フカボリ】広隆寺半跏思惟(弥勒菩薩)像
国宝第1号とされる仏像です。
といっても、1951年6月9日付で登録された国宝は多数ありますので、そのなかの一つということになります。
像高は123.3㎝で、ロダンの「考える人」を彷彿とさせる姿から「東洋の詩人」なんて呼ばれたりもします。
おしゃれですね!
無駄なものをすべてそぎ落した、シンプルな美しさをもつ百済系の仏像でファンも多いです(私もです笑)。
弥勒菩薩
さて、この「弥勒菩薩」とは何でしょう。
まず、「菩薩」とは仏像のヒエラルキーからすれば如来に次ぐ二番目に位置するもので、いまだ修行中の身分です。
ただこの弥勒菩薩さん、ほかの菩薩とは違い、悟ることを約束されている未来仏とされているんです。
具体的には釈迦牟尼仏(現在の仏陀)の入滅後、56億7000万年後にこの世界にやってくるそうで…。
じゃあいまは何をしてるのか、といいますと、兜率天という世界で修行中。菩薩ですからね。
この56億7000万という仰天の数字はどこからでてくるのかと申しますと、実は計算式があるんです!
まず、弥勒菩薩さんの兜率天での寿命は4000年です(!)。
ただ、兜率天での1日はわれわれの世界の400年に当たるんですね(!)
ですので、弥勒菩薩さんが寿命を全うしてわれわれの世界にくるのが、われわれの時間に換算すると、
4000×400×12か月×30日=5億7600万年
となるのです。
これが何かの拍子に1桁増えちゃって、さきほどの56億…という数字になったようです。
1桁増えちゃって、てなんやねん! というところですが、5億年にしても、56億年にしても、たぶんわれわれ生きていないので・・・動いている弥勒菩薩さんに会うのは厳しそうですね(汗)。
ですので、こちらのような弥勒菩薩像がつくられたのでしょう。
ちなみに広隆寺ではありませんが、弥勒菩薩が実際に悟りを開き、如来となった様子を想像してつくられた「弥勒如来像」というのも存在します(興福寺)。
広隆寺の基本情報
基本データ | |
・アクセス: | 嵐山電鉄(嵐電)「太秦広隆寺」駅下車徒歩1分 |
市バス「銀閣寺道」バス停下車徒歩15分 | |
・拝観料: | (霊宝殿)大人・大学生 700円 高校生 500円 小中学生 400円 |
・拝観時間: | 9:00~17:00 |
*新型コロナウイルス流行前の情報です。 |
★「広隆寺」についての解説動画はコチラから!『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』
〔画像:京都フリー写真素材〕
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の京都の歩き方」
第1回 清水寺編
第2回 六波羅蜜寺編
第3回 八坂神社編
第4回 智積院編
第5回 三十三間堂編
第6回 【特集】豊臣秀吉ゆかりの地
第7回 南禅寺編
第8回 【特集】琵琶湖疏水~初めて電車を走らせた京都の電化事業~
第9回 平安神宮編
第10回 金閣寺編
第11回 龍安寺編
第12回 仁和寺編
第13回 銀閣寺編
第14回 広隆寺編