
お疲れ様でございます。
第13回目の今回取り上げるのは、京都東山の定番スポット、「銀閣寺」です。
銀閣寺というのは現在の名称でして、創建当初は室町幕府8代将軍足利義政の建てた東山山荘の観音殿の通称を(金閣に対して)「銀閣」といい、足利義政の死後に寺院となり「慈照寺」という名前のお寺となりました。
ややこしいですね(笑)。
まずは、そんな「銀閣寺」の歴史を見ていきましょう!
目次
【歴史】銀閣寺の歴史
(1467) | 応仁・文明の乱 |
(1482) | 足利義政、祖父義満にならい東山殿の造営に着手 |
(1483) | 東山殿が整い、義政が移住 |
(1486) | 東山殿に東求堂が完成 |
(1490) | 義政死去 東山に銀閣(観音殿)が完成し、遺言により「慈照院」と命名 |
(1491) | 夢窓疎石を勘定開山として慈照院から慈照寺と改名 |
* | |
(1994) | ユネスコの世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつに |
(2007) | 科学調査により銀閣には銀箔が貼られていなかったことが判明 |
1467年 応仁・文明の乱
さて時は15世紀、室町時代も中頃でございます。
室町幕府の将軍家においては8代将軍足利義政の弟・義視と、義政と日野富子との間に生まれた子・義尚の将軍継嗣争いが勃発しました。
この争いはさらに細川・山名の実力争い、有力守護家の家督相続争いと結びつき、1467年、応仁・文明の乱となったのです。
▼応仁・文明の乱についてはコチラ
1482年 義政が東山殿の造営に着手
この応仁・文明の乱のあと、1482年に義政は祖父・義満にならって東山殿の造営に着手しました。
義満が作ったのは北山殿、のちの金閣でしたね。
翌年、何とか整いまして、義政が移住することとなりました。
さらにその翌年、東山殿に持仏堂である東求堂が完成します。
持仏堂というのは、持仏、すなわち日常的にお参りする個人持ちの仏像を納めるためのお堂のこと。
受験日本史では「書院造の代表」として習う東求堂はそんな建物だったんですね。
観音殿(銀閣)
1490年、義政が死んでしまいますが、観音殿すなわち銀閣はそのあと完成します。
義政は銀閣の完成を見ずに亡くなってしまったのでした。
さらにそのあと、義満の法号にちなんで「慈照寺」という寺院になったのがこの「銀閣寺」の成立でございます。
現代に至ってはユネスコの世界文化遺産の構成要素の一つとして登録されたり、科学調査によって「銀閣に銀箔が貼られていない」ことが正式にわかったりしております。
この辺は文化史の東山文化のところでも説明申し上げましたので、よろしければご覧くださいね。
▼東山文化についてはコチラ
【みどころ】銀閣寺の歴史
銀閣(観音殿)
慈照寺の観音殿のこと。
「金閣」に対応して「銀閣」と呼称されます。
ただ、構造は金閣とは全く異なり、そもそも金閣は全部で三層あるのに対して銀閣は二層、つまり二階建てのつくりです。
一層めは「心空殿」という名前の住宅風建築、二層めは「潮音閣」という名前の禅宗様の建築。
この二層めの潮音閣に観音像が納められています。
東求堂
この銀閣から奥に進んでいくと見えてくるのが義政の持仏堂、東求堂です。
東求堂は南を正面として4つの部屋からなっており、その東北隅の同仁斎が書院造の代表として有名ですね。
【周辺スポット】銀閣寺の周辺スポット
哲学の道
銀閣寺前バス停を降りて目の前につづく小道は、「哲学の道」という名で呼ばれています。
もとは琵琶湖疎水の分線に沿った歩道で、もとは1890年に整備された管理用の道路です。
では、なぜ「哲学の道」なのでしょう。
それは、西田幾多郎や田辺元といった京都学派の哲学者たちが思索を巡らせながら歩いたことによるから。
なるほど、ものを考えながらポツポツ歩くのにはぴったりの道です。
白沙村荘 橋本関雪記念館
銀閣寺前バス停のすぐ後ろには画家橋本関雪(1883-1945)のアトリエであったところに造られた、白沙村荘・橋本関雪記念館がございます。
橋本関雪は兵庫県神戸市出身の画家。
中国古典にもあかるく、その作品のジャンルは新南画ともいわれました。
その橋本関雪が晩年に抱いた「展示棟建設計画」を具現化した美術館と庭園から成ります。
▼HPはコチラ
【フカボリ】哲学の道
今日はもうすこし、「哲学の道」をフカボリしてみましょう。
哲学の道は「日本の道100選」の一つにも数えられており、銀閣寺前のバス停を通る1.5㎞ほど続く道です。
さきほど述べましたように、京都学派の哲学者たちが思索にふけりながら歩いたことからこの名がつけられたわけですが、1981年にはこれにちなんで西田幾多郎の詠んだ歌の碑が建てられました。
人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾は行くなり
私も大好きな歌です。
橋本関雪・よね夫妻が300本の桜を寄贈した「関雪桜」
さて、この哲学の道にはこの近くに住んだ橋本関雪・よね夫妻が300本の桜を寄贈した、「関雪桜」も知られています。
桜はほぼ植え替えられて「代替わり」しているようですが、関雪の妻・よねが提案し寄贈された桜による景色はいまでも受け継がれているといえるでしょう。
それでは今日はこの辺で。
銀閣寺の基本情報
基本データ | |
・アクセス: | 市バス「銀閣寺前」バス停下車徒歩7分 |
市バス「銀閣寺道」バス停下車徒歩15分 | |
・拝観料: | 大人・高校生500円 小中学生 300円 |
・拝観時間: | 3月1日~11月30日 8:30~17:00 12月1日~2月末日 9:00~16:30 |
*新型コロナウイルス流行前の情報です。 |
★「銀閣寺」についての解説動画はコチラから!
『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』
〔画像:京都フリー写真素材〕

日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の京都の歩き方」
第1回 清水寺編
第2回 六波羅蜜寺編
第3回 八坂神社編
第4回 智積院編
第5回 三十三間堂編
第6回 【特集】豊臣秀吉ゆかりの地
第7回 南禅寺編
第8回 【特集】琵琶湖疏水~初めて電車を走らせた京都の電化事業~
第9回 平安神宮編
第10回 金閣寺編
第11回 龍安寺編
第12回 仁和寺編
第13回 銀閣寺編