裸足になる。
夏なのに、水気を含んだ土はぴとっとつめたい。
ギターが鳴り止み、頭はクールだ。
水溜まりに足をつけてみる。
ぬるっとした感触に、身の毛がよだつ。
全部の神経が足の裏に集中し、何か小さいものの呼吸を感じ取ろうとしているみたいだ。
べつに、こういうのでいいじゃないか。
意味とか、信仰とか、常識とか、道徳とか。
そんなもの、あってよかった試しがあるだろうか。
怒鳴り声が聞こえる。
はっきりと私に向けられた声。
私の体は声なんかで吹っ飛んだりしない。
ガシッと肩を掴まれる。
さんざん、光とか闇とか、善とか悪とか言っといて、最終的には意味もクソもない物理攻撃だ。
まともな大人たちが説く倫理なんて、反抗の芽を摘む建前だ。
人がそれに従うのは、倫理の背後で暴力が目を光らせているからに過ぎない。
虎の威を借る狐が、いかにも正義面してるのが気に食わない。
連行され、牢獄的なところに投げ入れられるのかと思いきや、なんか普通にだだっ広い畳の部屋に通された。
「願」と書かれたペットボトルを三本渡され、なるべく大量に飲むよう促される。
早めに対処した方が、魂の汚染が少なく済むらしい。
普通に喉が渇いたのでガブ飲みする。
一旦罠にハメといて、そのあと優しい顔して救いの手を差し伸べる。
どこでも、教育なんてその繰り返しだ。
落としては掬い上げているうちに、「まともな人間」ができあがる。
嘘だ。
できあがるのは、罠を上手に回避できる人間だけじゃないか。
部屋には私の前に捕まった男がぽつんと座っている。
警戒の目でこっちを見てくる。
一日目、私の班にいたガチ勢のおばさんの息子だった。
視線がうっとうしくて目を逸らす。
足下を見ると、まったく減っていないペットボトルが三本転がっている。
「飲まねぇの?」
言いながら、なんで話しかけたのかと後悔する。
反抗的な態度に、少し共感しているのかもしれない。
そいつは少し驚いた表情をしたが、「こんなもん、誰が」とぶっきらぼうに返してきた。
「あっそ」と返し、会話が途切れる。
思春期の中坊の相手をできるようなキャパは、私にはなかった。
面倒だ、と思うと眠気がやってくる。
脳が重たく閉じていく感じがして、ともかく何かの信号を入力しなきゃ落ちそうだ。
「お前、さっき何叫んでたの?」
「何だっていいだろ、ムカついたんだよ」
「それな」
ムカついたんだよ、の言葉にグルーヴ感があって、思わず脳死で同調していた。
桂木の会話はこんな感じなんだろうか。
ともあれ使ってみると、共感するのにやたら便利な言葉だとわかる。
これだけ言ってりゃハブられることもないのかもしれない。
心なしか中坊の警戒心も解けたように見える。
少し沈黙したあと、名前を聞かれ、答えると「ふうん」とか言ってまた沈黙する。
聞かれたいパターンかと思い、こっちから聞いてみる。
「坂本。坂本斗真。中二」
聞いてもない学年まで返ってきた。
「ふうん」と返してこっちも黙る。
少し間を置き、坂本は「俺さ」と口を開いて、なんか自分語りをしはじめた。
坂本の話は要領を得ず、なんだか小学生と会話しているみたいだった。
10分ほどの話で明確にわかったのは、坂本が不登校であるという事実だけだ。
坂本はその原因を、母が宗教にハマったこと、それで家族の関係がおかしくなったことにあると考えているらしかった。
父は家のことを何もやらないくせに外面ばっかり気にするから、母をみっともないと非難し、暴力に訴えることもある。
そういう扱いを受けて母はいっそう教団の活動にのめり込んでいく。
坂本はそういう両親を軽蔑している。
それがなぜ不登校につながるのかは、私にはわからない。
ただ、坂本の話を聞きながら、何かに苛立っている自分に気づく。
いや、自分のこと見てもらえなくて寂しいだけじゃん。
坂本に突っ込めば、その言葉がそのまま自分に返ってくる気もする。
私は寂しいだけなんだろうか?
[連載小説]像に溺れる
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