#41 発光――像に溺れる【ANOTHER STORY —ヤナガワ—】

昼間の汗がベッタリ残ったような夜、バイト先から桂木の軽自動車に乗せられ美容院に向かう。
エアコンから勢いよくヤニとホコリの臭いが飛び出してきて、その割になかなか車内は冷えず、ココナッツの芳香剤と混ざってとろんと胃のあたりに落ちてくる。

ネコが好みそうな住宅街の路地に、そこだけガラス張りの、こぢんまりしたケーキ屋みたいな店がある。
白木をベースにした店の中に暖色系のライトが灯っていて、それで美容院なのだとわかる。
美容院というかサロン、って感じだ。

美容師は高野といって、どこか桂木と似ている感じがした。
顔が似ているわけじゃなかった。むしろ顔には特徴がなくて、年を取ったライオンみたいな、茶色と黄色がまばらな髪だけが、無駄に印象に残る感じがする。

たぶん、波長みたいなものが似ているのかもしれなかった。
額のあたりをするっと滑っていく感じ。
明日には、というか別れて数分後には私のことを忘れていそうな顔でこっちを見てくる。

互いに記憶が残らないのは悪くないと思った。
記憶がなければゴウもない。
カワイソウでもなんでもないまま、私は忘れて、忘れ去られる。

鏡の前に座らされる。
「どうしよっか~」とか言いながら私の髪をくるくるやっている。
少し体が硬くなってる気がした。
鏡の前にいるのは久しぶりだ。

なんとなく、自分と目を合わせたくない感じがした。
たぶん厄介なものが映っている。
そういう変な確信があった。

桂木がぬっと横から鏡に入ってきて、「夏感出してこ、高1だし」と言った。
相変わらず脈絡がわからなかったが、高野は何やら同調していた。

ゴウがないと、論理もない。
というか、論理がゴウの元なのかもしれない。

油断して一瞬自分と目が合った。
目つきの悪い女が睨んでいる。
この女が世界に存在していることについて、私はうまく理解できない。

目の前の自分が、突然赤の他人にすり替えられても問題ないというか、むしろその方がいいような気がした。

「オレンジがいい。短く」

別の何かになろうと思った。
一瞬、間をあけて、桂木が人差し指をピンと弾く。
「それ」と、意味ありげにアゴをあげキメ顔をしている。
高野は頷き「あるわ」とか言ってる。
意味はわからないが、肯定的に捉えられたらしい。

高野が「ブリーチいける?」と聞いてくる。
さぁ、と答えると「まぁいけんべ」と桂木が口を出してくる。
「まぁいけっか」と高野が繰り返す。

ヤバい薬品の臭いが漂ってくる。
体にかけたら溶けそうだ。
高野が黒いゴム手袋をはめて、なんだかそこだけ物騒だ。

ベタッと遠慮なく、鉄パイプみたいな色した薬剤が塗られていく。
みるみる頭が覆われ、気づけばメタリックなオールバックが完成していた。

鏡に映る自分が別人すぎて、かえって抵抗感がない。
そうか、これはゴウを取り除く儀式なのだと気づく。

頭皮がすこしヒリヒリして、それがゴウを焼き払っている証みたいに感じられる。
坊さんが頭を剃るのはこういうことなんだろうか。


私のゴウが現在進行形で焼かれていることなど、気にすることなく桂木と高野はダベっている。
やっぱり話には中身がなくて、テンポとトーンでチューニングを合わせているみたいだ。
かえってその方が、動物とか赤ん坊とかとも意思疎通しやすいのかもしれない。

薬剤が洗い流され、また別の薬剤が塗られる。
こっちもヤバい臭いがしていたが、頭皮はヒリヒリしなかった。

「つーか遅くなるけどいけんの?」と、いまさら桂木が気にかけてくる。
時間を巻き戻せるならいざ知らず、薬剤まみれの状態で、無理だと言ってどうにかなるのか。

「べつに」と言うと「さすが~」とアゴを上げて言う。
高野はまた「あるわ~」とか言ってるが、さっきより少し感慨がこもったトーンになっていた。
この似たような繰り返しは、一体なんなのだろう。
よくわからないけれど、無意味すぎて、とくに悪い気もしなかった。

薬剤を流して鏡の前に戻ると、女の頭はバカみたいに発光していた。
意味もなくただただ明るいオレンジだった。

桂木はしきりに「夏感出てるよ」と繰り返し、高野は「きてるわ」と同調している。

鏡の中の知らない女。
けれどもこの女がこの場所にいるのは、なんだか納得できる気がした。
あまりに軽薄だから、世界のどこにいようが、ある程度しっくりいきそうだった。


[連載小説]像に溺れる

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