当たり前のように「受験」を捉えてしまいがちな昨今、ちょっと立ち止まって多様な生き方の可能性、様々な選択肢がある中で「受験」という道を選んだ意味を考えたい。
そんな思いから始動した”Educational Lounge×Career Compass”では、様々な業界でチャレンジを続けている方に、これまでの人生を振り返っていただきます。
第2回目は、Educational Loungeのために書き下ろした連載小説「像に溺れる」の著者、フリーライターの鹿間羊市さんにお聞きしました。
鹿間羊市
1986年10月2日生まれ。東京都出身。フリーライター。
早稲田大学高等学院を卒業し、早稲田の政治経済学部に入学するも途中で哲学がやりたくなって中退。一般受験を経て早稲田大学の文学部に入学し、哲学を専攻する。同大学文学学術院(修士課程)修了後、公民科の非常勤講師として都内の私立高校に勤務しながら小論文の通信講座の添削講師を3年勤め、私立高校の契約満了に伴い転職。
その後はWeb制作会社のライターとして1年ほど勤務し、2020年からはフリーとして独立した。
現在では「文春オンライン」「アーバンライフメトロ」などのニュースサイトをはじめ多くの媒体に寄稿しつつ、自身のnoteで評論・創作活動を精力的に行う。インターネットラジオ「東京西側放送局」でも配信を行っている。
Webページ「脱線言語ミュージアム」管理人。
目次
「世界に存在してはいけない類いの本性とどう向き合うか」が一生の悩みになる気がする
――まずは高校時代から振り返っていただきたいと思います。高校に4年間在籍されていたそうですね。鹿間さん(以下「鹿間」):
アルバイトにのめり込みすぎたおかげで人生おかしくなりました(笑)。
自分で言うことではないかもしれませんが、高校の途中まではずっと優等生でした。
ただ、完全に他律的な人間で、親とか先生に認められるために勉強するというところがありました。
これは「像に溺れる」の主人公もそうなんですが、「勉強以外に何もない」というのがずっとコンプレックスで、熱中できるものがあったり、一芸に秀でていたりする同級生には引け目を感じていたんです。
唯一車は小さい頃から好きだったので、高2あたりからガソリンスタンドでアルバイトをはじめました。現場感というか、地に足のついた世界がそこにあって。何だかそこで、これまでの学校生活が全部架空の世界だったように思えて、「多分こっちが本当なんだろうな」とでも言うような感覚でした。
高3からはアルバイトにどんどんのめり込んでいきましたね。遅くまで働いて、さらにはその後にゲーセンやらカラオケやら連れて行かれて、朝方に帰ることも結構ありました。
当然学校にはまともに通えるはずもなく、一旦家出たフリして近くの漫画喫茶で寝たり、学校行っても図書室で寝たり、順当に出席日数が足りなくなりました。
アルバイトの甲斐もあり、高3の秋に免許を取って、そのまま冬に車を買って……その代償が留年でした。
――留年してまで働いて手にしたその車にも後日談があったとか……。
鹿間:そうですね。留年が決まった2週間後くらいに事故を起こして、車はそのまま廃車になりました。
車を手にした代わりに留年しただけなら自業自得なんですが、友だちも乗せていたんです。幸い怪我はなかったんですが、そのときから自分は潜在的に人を殺しうる人間なんだと思うようになりました。今でも、大怪我させていた世界線、殺してしまっていた世界線みたいなのがゾワっと過ることがあります。現実に起きていなくても、それを引き起こす因子が自分の中にあったことは間違いなくて、世界に存在してはいけない類いの本性とどう向き合うか、みたいなことは一生の悩みになる気がしています。
ようやく自分のやりたいことというか、純粋な興味から学問ができている感じがしました
――続いて、大学生時代を振り返ってみていただけますか?鹿間:
早稲田の付属から「文系で一番レベルが高い」ってだけで早稲田大学政治経済学部に進みました。
高校で留年してるので「大学生活で挽回してやろう」みたいな気持ちが最初はあったんですが、それは半年ももちませんでした。一言で言ってしまえば、経済学がどうにも肌に合わなかった。入る前にちゃんと考えとけって話ですね。「像に溺れる」の主人公は法学にちょっと目覚めていますが、あの設定には「高校生の頃から専門分野は少しくらい考えておかないと俺みたいになるぞ」っていう気持ちが入ったのかもしれません。
経済学は自分にとってあまり面白く感じなかったし、周りはなんというか、経済学を好きでやってるんじゃなくて、就職までの課程をこなしている感じに見えて、「大学ってこんなんかぁ」って。リアリティショックってやつですね。
そういう時に、一般教養で受けた哲学の授業がやたら刺さりました。自分の場合は特にニーチェですけど、あれは毒になり得ると思っています(笑)。
結局、それで「哲学やりたい」と思うようになって、学校行くのがまた馬鹿らしくなって……こう見ると成長していませんね。「自分探し」「ここではないどこか」みたいな考え方は自分の場合ろくな結果になりませんでした。
それからは、銀座でドアマンとかをやる一方で、将来が見えなくて文字通り死にたくなりつつ、太宰治とか坂口安吾とか読んであぁなんか生きようとか思いつつ……。
そんなときに、小説を書いてみようと思い立って、はじめて小説というものを書いてみたりもしました。その作品は群像新人文学賞に応募もしてみたのですが、一次しか通らず、自分には小説の才能がないと思って小説の道を諦めました。今思うと初回で一次通過は十分な結果なんですが。すごくフワフワしていた時期ですね。
――そうだったのですね。でもその後、同じ早稲田大学の文学部に入り直されています。そのあたりのエピソードも聞かせていただけますか?
鹿間:23歳になる年に早稲田の文学部に入り直しました。
付属校出身者は転部できないみたいだったので、文学部で哲学を学ぶためには一度政治経済学部を中退し、一般受験をして入り直さなければなりませんでした。付属校入ったのにその学校受験するってなかなかないですよね。本当に、しっかり大学に入る前から考えておけって話です。
文学部に入ってからは楽しかったです。ようやく自分のやりたいことというか、純粋な興味から学問ができている感じがしました。それに、哲学科の居心地も良かった。みんな浮世離れしてるんですよね、ぼくも集団で浮く傾向にありますが、周りがみんな浮くタイプなので、アナーキーがスタンダードみたいな。あべこべですね。
そのまま修士課程まで進みました。
――ご専門は?
鹿間:大学3年頃からハイデガーの『存在と時間』を中心に研究していくことに決めました。
デリダとかフーコーとかドゥルーズとか、いわゆる「ポストモダン」系の思想家がお洒落でよかったんですけど、彼らを読む前提としてハイデガーは外せなかった。
ポストモダン思想はざっくり「権力」や「暴力」の構造を暴くことに一つの重点があると思うんですが、そういうものの象徴というか、思想上の仮想敵としてヘーゲルやハイデガーがいるわけです。こいつら乗り越えなきゃ前に進めん、みたいな。ダースベイダー的なヤツですね。
もちろん、ハイデガーの『存在と時間』そのものに惹かれたのもあります。
そもそも書く仕事をしようと思ったのは、大学院時代の指導教員がきっかけです
鹿間:
倫理の教科書とかだと、「世間に埋もれた状態から、自分の死を意識することで本来の姿を取り戻す」みたいなことが書かれているんですが、これは多分ちょっと違っているように感じていて、ぼくが読むかぎりではそんな格好いいこと言ってないんですよね。「自分にはあれもできないし、これもできない」っていう制約や制限のなかで、「もう自分はこうするしかないんだ!」って開き直る、みたいな。
ハイデガーを読むにあたって、「世間に埋もれた自分」と「本当の自分」は切り離して考えられがちなんですが、たぶん本当は切り離せないんですよね。いま、世間のなかで生きている自分と、別のところに「本来の姿」があるわけじゃない。
ぼくに当てはめれば、自分はもうそんな若くないし、子どももいるし、あれこれ何でも手を出せるわけじゃない。社会に出るのも遅かったから、普通にサラリーマンとして出世していくことも望めない。でもだからこそ、唯一評価してもらえている文章で稼いでいくしかない。この「しかない」っていうところが、「本当の自分」ってことになるんだと思います。
――哲学をやっていて良かったと思うことはありますか?
鹿間:哲学をやっていてよかったな、と思うのは、一つひとつの単語に対して慎重になったところです。「本当にこの使い方でいいのか?」「そもそもこの言葉、ちゃんと自分で理解できてるか?」って。
哲学用語って当たり前に使えないんですよね。たとえばハイデガーだったら、一番頻繁に使われる「存在」って言葉が一番わからない。ふわっとした理解のまま、論文とか発表とかで迂闊に口に出そうものなら、「あなたはこの『存在』という概念についてどう理解していますか?」みたいに偉い先生たちから問い詰められるわけです。
「なんとなくの理解」のまま言葉や概念を使うもんじゃない、みたいな意識はたぶんライターとしてやっていくうえでも役立っていると思います。文章を書いていると、頭の中の指導教員が「あなたはこの言葉をどういう意図で使っているのですか?」と圧迫してくるので……一語一語、一文一文の意図を尋ねられれば答えられる、みたいな書き方にはなっていると思います。
たぶん文系の学問全般に言えることだと思うんですけど、学んだ内容そのものよりも、その学問をするなかで身についた物事の捉え方とか観点とか、そういうのが武器になるんじゃないかなって思います。
――修士課程まで進んだことが広い意味で今の仕事につながっているとか?鹿間:
そうですね。そもそも書く仕事をしようと思ったのは、大学院時代の指導教員がきっかけです。
その教授はいつも全身黒コーデ、ハンチング帽に黒眼鏡の怖い人で、こと文章については重箱の隅まで徹底的につついてきました。書いたものを見せるときにはいつも圧迫面接です(笑)。
何度も心を折られながら、どうにか修士論文を書き上げて、「あぁもう何を言われようとこれで解放されるんだ」と思っていたところに、「文章は素晴らしい」「ぜひ、これからの仕事でも文章に関わっていてほしい」とか言われて。コロッと本気にしたわけです。
感性が合う人と、忖度なくダメ出ししてくれる人は本当に貴重
鹿間:
修士課程修了後は、都内の私立高校で公民科の非常勤講師として勤務しながら小論文の通信講座の添削講師を3年やって、Web制作会社のライターとして1年ちょっと働き、2020年にフリーとして独立して、ニュース系サイトに記事を寄稿したり、企業のオウンドメディアで記事を書いたりしています。もちろんこのEducational Loungeの小説も。
まだまだ駆け出しなので、ジャンル問わず書いています。政治系、車業界、IT系、人事経営とか。
――フリーライターに転身するきっかけは何だったのですか?
鹿間:直接のきっかけは子どもができたことです。企業ライターとしてキャリアアップするには限界が見えていたのが大きいですね。
当たり前ですけど、書くだけじゃ偉くなれないわけです。チームをまとめる力とか、他のチームと折衝する力とか、そうした力が自分にないことは明らかでした。それで、いつかは独立しようとは思っていたんですが、子どもが生まれるとなって「あれ、今逃したら多分ここから抜けられなくなるな」と思って。逆にフリーになって失敗しても、まぁ何かしら仕事はあるだろうと。どう考えても行き当たりばったりでしたが、思えば社会人になって以降、何か明確な転機があったというより、色々と繋がっていった感じがします。
学校を卒業して、職場もいろいろ変えたりして、付き合う人は様々に変わるわけですけど、一旦途切れた関係がその後別の形でつながったり、あぁ人脈ってこういうことなんかって。30半ばにして気づくのもどうかと思いますが。
ぼくは友だち多い方じゃないと思うんですけど、それでもこれまでの関係を通じて今の仕事が成り立っているところが多分にあるので、関係は大事にしなきゃダメですね。特に感性が合う人と、忖度なくダメ出ししてくれる人は本当に貴重なんだと思います。
――フリーライターのメリット/デメリットは何だと思いますか?
鹿間:フリーライターは基本的に家での作業なので、いつでも子どもの顔が見られるのはいいですね。仕事にならない時もありますけど、行き詰まったときとか結構救いになります。
これはフリーの職業全般に言えると思いますが、自分の裁量で時間を使えるというのは本当に強みです。空いている時間に趣味でホームページ〔編注:「脱線言語ミュージアム」〕も作って、ほんとに言葉遊びを楽しむだけのサイトなんですが、将来的に収益化できれば最高だし、まぁお金にならなくてもやってて楽しいし、その辺のラインを曖昧にできるのもいいところな気がしますね。
一方で、ぼくは全然実践できてないんですけど、体調は本当に大事です。会社勤めなら健康診断とかあるし、通勤でなんやかんや身体動かしているから、異常があっても気づきやすいと思うんですけど、フリーだとそういうのがないので……。
やろうと思えばいくらでも仕事を続けられてしまうので、いつの間にか身体が謎に痛い、みたいなことがちょいちょいあります。自分を律しないとダメですね。
――仕事をしていく上でのこだわりがあれば教えてください。
鹿間:仕事そのものに対するこだわり、みたいなものはあんまりないんですけど、あえて言うなら文章を書くうえで自信を持たないことですかね。「いやこんなんじゃダメだろ、全然伝わらんわ」っていつも思いながら書いています。
ぼくは文章力にそもそも自信がないんですけど、たぶんライターとしてやっていくために重要なのはそこじゃないんですよね。文章力よりも、意識として「自分の言いたいことは、そのままじゃ相手はわかってくれない」って前提を持っているかどうかが大事だと思っていて。
「自分がありのままに表現すれば伝わる」っていう自信を持っちゃうと、たぶんぼくの場合にはダメになるんだろうなって確信があります。センスがあればそれでいいのかもしれないですけど、そもそもぼくは文章のセンスってあんまり信じていないので。
世界は結構ザツにできている
――今までの人生を振り返ってみてどう感じていますか?
鹿間:ぼくの現状を「社会的なステータス」ってところから見ちゃうと、やっぱ学歴からの落差みたいなものはあるんだと思います。たぶん、高校とか大学の同級生の半分も稼いでいませんし。
でも、文学部で哲学をやりはじめたあたりから、その辺のことは気にならなくなりましたね。自分でやりたいようにやっているんだから、これ以上のあり方はないだろう、と。
それは今も変わりません。自分で好きな文章を書いて、それで生活を成り立たせる。自分にとって、やっぱりこれ以上はないよなぁって思います。納得感というか、自分で自分の生き方が腑に落ちている感覚はありますね。
あ、車好きなので、欲をいえば自分用のスポーツカーが欲しいですが……
――最後に、受験生や大学生など「若者たち」に向けて一言お願いいたします。鹿間:
ここまで読んでくれた方には明白かと思います。私のようにはならないでほしいです(笑)。
やりたいこととか自分の適性とかを早い段階から考えておいてください、本当に。
自分のことを見極めるっていうのは難しいですけど、おそらく現時点で自分の周りにある価値観を一旦宙づりにして、フラットに考えてみることが大事なんだと思います。
あるいは反対に、その価値観を最後まで信じ切ることが大事なのかもしれません。
これまでのぼくはどちらもできていなかった。「勉強ができればいい人生が送れる」という価値観に疑問を抱きつつも、それを長いこと捨てきれませんでした。
偏差値や世間体には何の意味もないし、志望校や大手企業を受けた結果がどうなろうが、そんなものは自分自身として生きていくうえで何ら決定的な要素ではありません。
しかし同時に、偏差値や世間体を自分の軸として信じ抜くことも、立派な生き方です。「引かれたレールの上を進む」、あるいは「他の人に流されながらどうにか『普通』にしがみついて生きていく」という生き方は創作とかでは見下されがちですけど、そこに何かしらの充足があればいいんだろうなって。
世界は結構ザツにできていますから、まぁなんとなくでもそれなりに生きていけますし、カチッとさせたければそうも生きられるし、どういうのが自分にとって生きやすいか考えてみても良いんじゃないかなと思います。
鹿間羊市Webサイト「脱線言語ミュージアム」
「アンチSEOブログ」「寒暖差ケア美の物語」「マウンティング用語の基礎知識」など、社会が文脈を必要としなくなり、言葉が単なる記号としての存在に成り下がった世界に対するアンチテーゼともいうべきコンテンツを発信する。一種の言葉遊びを通して「キーボードの配列を少しだけズラしてしまう」独特の世界観が繰り広げられる。
Educational Lounge × Career Compass
第1回 大手企業の安定を捨てた先に出会った「天職」
第2回 世界はザツにできている