教室の隅で行う作業はひどく孤独だった。
それは昼休みに部室棟の階段で感じる孤独とは性質の異なるもので、ぼくは自分自身の存在が、惨めに虐げられている者の像へと押し込められていくのを感じ、全身の皮膚がじりじりと、背後からの視線に蝕まれていくように思った。
ぼくは将来こうして、「使われる側」の人間になるのだろうか。
使う側になるか、使われる側になるかということに、テストの点数は関与しないらしいのだった。
それならぼくは、何のために勉強しているのだろう?
使われる側として、もっとも優秀な部類の人材となるため?
……将来の可能性と、テストの点数が結びついていないのなら、「勉強しなければいけない」という「法」は、まったく実効性を伴わないものになるのではないだろうか。
左手に嫌な感じの熱がこもり、汗によって紙が不快にまとわりついて、けれども指先からはリアルな感触が抜け落ちていた。
折り込み作業すらまともにできなくては、いよいよぼくの価値も、勉強の意義も崩れ去ってしまうだろう。
現実的な能力の低さが露呈するのではないかと、ぼくは一度手を止め、教室の様子を窺った。
会話しながら装飾をしたり、黙々と看板に文字を書き込んでいたりする生徒のなかで、看板に絵を描き終えたらしい平山が、何をするでもなくぼくの方を眺めていた。
早川とのやり取りに対して助け船を出さなかったぼくが、同様の憂き目に遭っていることに対し、幾分か溜飲を下げているのかもしれなかった。
適応のための道も、人としての道も、ぼくは知らないうちに踏み外してしまったのだろうか?
折り込み作業が残り1/3ほどとなった頃、どこかから白沢がやってきて、困ったような顔でぼくの正面にしゃがみこんだ。
「ごめんねぇ、一人でこんなに」
白沢はそう言って、残りのパンフレットの束を半分ほど自分の側に取り、テキパキと折り込みはじめた。
もともと小柄な白沢が、床に座ってパンフレットを折っていく様は、なんだか光景としてその場にしっくり馴染んでいる気がした。
それはいかにも文化祭の準備という感じだった。
ぼくはこれまで自分の姿が、ひどく陰惨な光景を形成していたのだと思い、場に馴染まない自分を恥じた。
「大変だったでしょ、誰かに手伝ってもらえばよかったのに」
あ、いや、と返答に困りながら白沢の顔に視線を向けるが、彼女は手元のパンフレットから目を逸らすことなく言葉を発していた。
あくまで彼女にとっては、パンフレットの仕上げが目下の最優先事項であって、ぼくとの会話は単なる付随物に過ぎないのだろう。
「ごめんね、梶谷君、文化祭とか興味ないでしょ?」
語尾を上げながら、白沢はちらっとこちらを見やった。
窺う視線がぼくの何を捉えようとしているのか、ぼくにはわからなかった。
「いや、でも、役割はやらないと」
展開させようのない答え方をしてしまったと悔いるが、なぜか白沢はぼくとの距離を詰めるように「ねぇ、梶谷君と一緒のグループがいいって言ったの、私なんだ」と告げてきた。
「芝原さんに直接お願いしたの。どうしてだと思う?」
そう言って白沢は元の位置に戻り、パンフレットを手際よく折っていく。
予測できないトーンの変化に、ぼくは対応の術を持たず、ただただ警戒心だけが高じていく。
ぼくをグループに入れた理由?
それよりも、遠藤をグループに入れなかった理由の方がはるかに重要なのではないだろうか。
「一学期、現文で羅生門の感想書かされたでしょ? あのとき、梶谷君の感想が見本の一つになったじゃん。梶谷君だけ、下人のニキビが罪に対する内面の葛藤を象徴してる、みたいなこと長々と書いてて、『あ、この人ヤバ』って思ってたんだよね」
まったく予期していなかった方向からの接近に、ぼくは呆気にとられていた。
確かにぼくは、そのようなことを書いた。
盗人となる決意に至るまで、膿の溜まった右頬のニキビを気にし続ける下人が、左手に残るデメキンの感触に悩まされ続ける自分と重なるように思い、ひどく熱を込めてしまったことを覚えている。
まさかクラス全体に公開されるとは思いもよらず、高校に入ってもっとも恥ずかしい経験の一つとして封印しようとしていた記憶だった。
[連載小説]像に溺れる
#0 像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊
#11 作られた像
#12 脱色と脱臭
#13 標本としての像
#14 抽象と具体の接点
#15 内面と世界の間の通路
#16 仮定法の世界
#17 罰による強制
#18 コバンザメ
#19 小さな変化
#20 個別のチャット
#21 権力の構造
#22「羅生門の記憶」