受験生の皆さま、お疲れ様でございます。
日本史科の佐京でございます。
今日は「日本文化史重要ポイント」の第4回、弘仁・貞観文化を取り上げてお話ししたいと思います。
目次
弘仁・貞観文化の基本情報
☆キホン情報の整理
時期:平安遷都~9世紀末ごろ
政治史的理解:弘仁→嵯峨天皇の時期の元号・貞観→清和天皇の時期の元号
中心人物:最澄・空海
外交史的理解:晩唐文化の影響
仏教史的理解:密教の伝来
・中心寺院→室生寺
鎮護国家の弊害――仏教勢力による政治介入
前回扱った天平文化では鎮護国家思想に基づく聖武天皇の仏教政策を概観しました。
今回扱う弘仁・貞観文化はそこから大きく転換します。
その「転換」の理由は、まさに鎮護国家の「弊害」ともいえるものでした。
それはすなわち、仏教勢力による政治介入。
例えば玄昉は藤原仲麻呂が台頭する中で筑紫観世音寺に左遷されましたし、道鏡は宇佐八幡宮神託事件と称徳天皇死去ののちに下野薬師寺に左遷されました。
宇佐八幡信託事件
【Point】宇佐八幡宮信託事件
宇佐八幡宮(現在の大分県)の神託(神のお告げ)で「道鏡をして皇位即かしめば天下泰平ならむ」とされたが、和気清麻呂を確認のために派遣したところ、神託は「天の日嗣は必ず皇緒を立てよ(天皇の跡継ぎは皇族であるべき)」であるとして道鏡の即位を阻止した事件。
奈良時代の終わり、道鏡を排斥して政権を担った藤原式家の百川、北家の永手は子のなかった称徳天皇の後継として、天智天皇の孫である光仁天皇を擁立しました。
奈良時代通して、壬申の乱以来の天武系の皇統で皇位継承してきましたが、ここで久々の天智系の天皇が誕生することとなります。
これが、光仁天皇です。
光仁天皇の遷都
光仁天皇はまず「遷都」を考えます。
そこで新たな天智系の都として浮上したのが山背国、長岡京ということになるのです。
その後いろいろあって(藤原種継暗殺事件トカ)長岡京ではなく同じく山城国(山背国から名称を改める)の平安京に遷都することになるのですが、まさにそれ以降のことを平安時代と呼ぶのです。
平安時代は794年の平安京遷都を起算点として源頼朝が征夷大将軍に任命された時までカウントしたとしてもザっと400年。
今から400年前というと江戸時代初期ですから、それくらいの幅のある時代なのです。
ですので、「平安時代の文化」を考える際には当然、「時期区分」をする必要があり、その最初にあたるのが今回扱う弘仁・貞観文化ということになるのです。
前置きが長ーーーくなりましたが、今日はそんな嵯峨・清和朝中心の弘仁・貞観文化を概観してみましょう。
弘仁・貞観文化の仏教
奈良時代には、先述の通り仏教の政治介入が顕著にみられたことから、奈良の大寺院の長岡京・平安京への移転が禁じられます。
そして奈良仏教に代わる「平安新仏教」として、桓武天皇・嵯峨天皇は最澄・空海らの天台宗・真言宗を支持していくこととなります。
【Point】
最澄(伝教大師):近江出身。厳しい山林修行ののち比叡山に草堂を建立、これがのちの延暦寺となる。
804年に入唐し、翌年帰国。806年に天台宗を開く。
著書は『山家学生式』(天台宗修行僧育成のための方式)・『顕戒論』(南都仏教に対して大乗戒壇設立を主張)など。
【Point】
空海(弘法大師):讃岐出身。密教を学び、真言宗を開く。紀伊国に密教の根本道場としての高野山金剛峰寺を開く。また、嵯峨天皇から東寺(教王護国寺)を与えられ拠点とする。
著書は『三教指帰』(仏教・儒教・道教のなかで仏教が優れているとした出家宣言書)、『十住心論』(悟りに至るまでの人間の心を十段階に分類して説明したもの)など。
ここで注意しておかなければならないのは、「天台宗はのち密教化」、「真言宗は最初から密教」ということです。
密教
悟りを開いたものにしか会得することのできない「秘密の教え」。
実践を続けることで仏の力に感応することで加持祈禱が可能となる。最終目標は生きながらにして大日如来と一体化する「即身成仏」。これに対して従来の仏教を「教」えが「顕」かである「顕教」という。
弘仁・貞観文化の美術
美術では前述の仏教史的理解を踏まえて「密教美術」が花開きます。
彫刻――如意輪観音像・不動明王像
とくに彫刻では、密教と関わりが深いとされる如意輪観音像や不動明王像などが多くつくられます。
代表的なものとしては観心寺如意輪観音像。
典型的な密教像でして、これはぜひとも写真をご覧いただきたいのですが、いままで登場した仏像とはまったく雰囲気が異なるものです。豊満な体つき、妖艶な雰囲気、何とも不思議な魅力を持つ仏像です。
ちなみに観心寺は大阪府の河内長野市にある寺院です。
技術――木造と翻波式衣文
技術面では一木造と翻波式衣文を取り上げておきましょう。
【Point】一木造と翻波式衣文
一木造:首と胴体を一本の木によって製作する方法。
翻波式衣文:カンタンにいうと「しわ」。こまやかな衣文の表現が彫刻で可能となる。
その他、建築では山岳仏教の発展によって自由な伽藍配置となった室生寺金堂・五重塔、絵画では密教における仏の世界の秩序を表現した「曼荼羅」や園城寺黄不動などを確認しておきましょう。
弘仁・貞観文化の思想・学問・文学
弘仁・貞観期には文芸を中心として国家の隆盛をめざす文章経国思想のもと、貴族の子弟が学ぶ大学での学問が重んじられ、儒教の経典を学ぶ明経道、中国の歴史や漢文学を学ぶ紀伝道などが重視されました。
これらの学問は世襲が進み、特定の家柄が家学として博士の地位をほぼ独占するようになりました。
また、一族の子弟の学びをサポートするために寄宿舎として大学別曹を設けました。
こうして漢詩文が重視される中、文学では『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』などの勅撰漢詩文集や、空海の詩文を弟子の真済が編集した『性霊集』などが登場します。
おわりに
弘仁・貞観文化についてより詳しく学びたい方はコチラもご覧くださいね。
次回は藤原北家による摂関政治が中心となる「国風文化」です。
前回お話しした「平安時代には幼帝が多くなる」理由もこちらで解説しますのでお楽しみに!
それでは今日はこの辺で。
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の日本文化史重要ポイント」
第1回 初の仏教文化、飛鳥文化
第2回 国家仏教の形成と白鳳文化
第3回 鎮護国家思想と天平文化
第4回 弘仁・貞観文化
第5回 国風文化(前編)