孤立という状況は物理的な距離とは関係なく生じるもので、彼女とぼくたちの間には精神的な断層のようなものができていた。ヤナガワサンの席の位置は変わっていないのに。
「なかったことにする」という判断を、誰かが口に出したわけではなかった。それなのにこの意識は、きわめて奇妙に、しかしいかにも自然な形で、教室内で共有されているのだった。あたかも教室が、隅っこのヤナガワサンを切り取る形で構成されているかのように、おそらく誰もがふるまっていたと思う。一度共有された意識は強固な膜を形成し、はじめからそうであったみたいに、教室の形を定めている。
こうして、岡本先生が教室に戻るまでのわずかな時間のうちに、二学期の教室環境は決定づけられたはずだった。けれどもぼくらの見通しは、岡本先生が発した「席替え」という言葉によって、一気に動揺させられてしまったのだ。
自分の視界に、華やかなオレンジ色が入ってくることを、ぼくらは一様に恐れはじめた。
席替えを仕切るよう指名された学級委員の芝原あゆみは、ぼくらの懸念を意に介さない様子で、手際よく黒板に座席表を描いて見せた。前の席を希望する者を確認し、その席を確定した後、順番に封筒に入ったくじを引かせた。席を確認した者から、黒板の図の該当するところに自分の名前を記入していくよう指示する。効率的な指揮に、ぼくらは従順な羊となって従うが、席が埋まるにつれて仲のいい者同士が歓喜したり絶望したり、小さなざわめきが起こる。
しかし一番の懸念点であるヤナガワサンの席の位置は、最後まで決まらないのだった。
最後から二番目の、野球部の森野のところで、残っているのは現在ヤナガワサンが座る隅の席と、教室の真ん中に位置する、ぼくの目の前の席だった。
ぼくらはみな森野が真ん中の席を引くことを望んでいたので、森野がくじを引いて「よっしゃ」と声をあげたときには、教室全体が安堵感で満たされた。ぼくも安堵しながら、けれども何か、胸のうちの熱が消えていくような感覚を抱いていた。ところが森野が黒板に名前を書いたのは、一番隅の席だった。
どこからともなく「え?」と声があがる。森野は自分自身が先生の目に触れないことだけを考えていたのだ。彼の無配慮に呆然とするぼくたちの前に、最後のくじを引いたヤナガワサンが気怠そうに現れて、小さく「やながわ」と、流砂のような字を書いた。
ひとつだけ配されたひらがなは、芝原が引いた規則正しい表そのものを、なにやら脆弱なもののように感じさせた。
ぼくらは席を移動させながら、教室の真ん中のオレンジ色についてどう扱うべきかを考えていた。しかし間もなく、その懸念は杞憂に終わった。
岡本先生が、移動中の机を縫うようにしてヤナガワサンに近づき、「終わった後、職員室に」と告げたのだ。とりあえず、オレンジ色についての心配はしなくてよさそうだと、ぼくらは胸を撫でおろす。
帰り際、職員室の前には生活指導の先生に向かって十数人の生徒が並んでいた。髪型や服装に問題がある生徒が呼び出され、指導を受けているのだった。
茶髪やピアスの生徒が並ぶなか、ヤナガワサンの明るいオレンジの髪はひときわ目を引いた。ぼくは通り過ぎざま、その鮮やかな発色が明日にはなくなってしまうことについて、なぜだか自分が責められているような感覚を抱いた。
ヤナガワサンの校則違反を是認する一筋の水脈が、いったい自分のどこから湧き出ているのか、ぼくにはわからなかった。
校門を出て、川を渡ると、朝よりもいっそう蒸されたドブの臭いが漂ってきた。
髪を黒染めしたヤナガワサンは、死骸と同じだろうか。
橋の向こうの、駅へと通じていく商店街は、彩りに満ちていた。
あのオレンジ色の方が、むしろ本当なのではないか。うっすらよぎった想念に、ぼくは左手を強く握った。
翌日、朝のホームルームの最中に登校してきたヤナガワサンの髪は、鮮やかなオレンジのままだった。
彼女はホームルーム終了とともに、岡本先生に連れられていき、その日再び姿を見せることはなかった。翌日のホームルームで、ヤナガワサンが一週間の停学処分を受けたことが知らされた。
[連載小説]像に溺れる
#0 像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界