Educational Loungeを立ち上げて以来、ずっと考えていたことがある。
主に大学入試に向けた科目別学習法だけでなく、読み物として楽しみながらもあるテーマを深堀りしていくことができるようなコンテンツを作れないか、受験生の期間〝だけ〟ではなく、その先にもつながるコンテンツを充実させていけないか——。
そして本日、その第一歩をようやく踏み出した。
先ほど公開した、青年期のアイデンティティがテーマになっている連載小説「像に溺れる」がそれである。
鹿間羊市と私
作者の鹿間羊市との出会いは今から10年前、私が大学一年生の時だった。
同学年だと聞かされたものの、明らかに年上に見えた彼は近づき難いオーラを放っており、人見知りの私が彼と実際に言葉を交わすようになるまで時間がかかった記憶がある。
ところが——人生とは本当に不思議なものである——そんな彼とは学部も専攻もサークルも同じだったこともあり、気づけば私の大学生活の中で最も一緒にいた同級生、最も敬愛する同級生になっていた。
そんな彼が修士課程を修了し、高校教員として勤務するようになってからも交流は途絶えることはなく、仕事の傍ら——当時は趣味や憧れの一環としてかもしれないが——密かに小説を書き溜めているということも聞かされることになる。
今年初めに彼がフリーの文筆家となったと聞いた時、この数年ずっと構想してきたこの企画を彼に依頼しない選択肢など私の中になかった。
「適応」の行方——「像に溺れる」第一話
本日公開した第一話「『適応』の行方」は、今後の物語展開において鍵を握るであろうキーワード「適応」の原体験が語られる。
我々は日々大なり小なり淘汰を経験しているだろう。
「淘汰」とは、ざっくりと説明するなら「生存に適するものが残り、そうでないものは消え去る」ということであり、そこから「良いものが選ばれ、悪いものは除かれる」といった意味で用いる言葉である。
我々の周囲で起こる淘汰の多くにおいて、「生存に適する」「良いもの」とされる基準は何なのだろうか。
思うにそれは、自らの生きる環境に「適応」できるか否かということになるだろう。
とはいえ、その環境において是とされているものは一体何を根拠に是とされているのだろうか。
それは本当に是なるものなのだろうか。
様々な不条理を感じながらも「適応」を選びとるのも一つの生き方であり、「適応」を拒絶するのもまた一つの生き方である。
我々の社会では前者の方が生きやすいと考えられがちではないだろうか。
しかし、果たして本当にそうなのだろうか。
「適応」を強いられる社会において「適応」を選択するのは一見正しい行為に思えるかもしれないが、本当にそれは「生きやすさ」につながると言い切れるのだろうか。
これから続く物語の中で、我々は第一にこうした問題と正面から向き合っていくことになるだろう。
「像に溺れる」 今後の展開
かなりの無茶をお願いすることにはなったけれども、「像に溺れる」はEducational Loungeのための書き下ろしである。
漫画を通して基礎を身につけるというコンセプトの書籍にも多くの名著があり、小説の形でも『数学ガール』をはじめ、これまでに多くの名著が世に送り出されてきた。『君たちはどう生きるか』という、圧倒的な輝きを放つ名著もある。
今回の企画はそうした名著の数々に、webを通して近づくことはできないかという試みだ。
ハイデガーを愛し、レヴィナスを愛し、三島由紀夫を愛し、常に深い思索と共に生きる彼の綴る、哲学的なテーマを背景に持つ小説。私の手元にある草稿を読み進めるにつれ、深い思索に誘われている自分に気づく。
今後、各話の区切りに合わせて適宜背景にある哲学的・思想的テーマの解説記事、鹿間本人による解説も同時に掲載していく予定である。
言い訳がましく聞こえるだろうが、今回の企画の編集、校正に関しては主に私を中心とした編集チームによる素人校正である。
プロの編集の方の目からすれば未熟に映る部分も多くあるとは思うけれども、温かい目で見守ってもらえれば幸いに思う。
予測困難な社会と「像に溺れる」
「像に溺れる」の扉にはこんな言葉を掲載した。
レールを敷かれた人生を歩むことが正しい生き方なのか。
レールから外れた人生を歩むことが正しい生き方なのか。それとも——。
予測困難な社会を生きる我々の前に並べられた多様な生き方の可能性。
我々はどのようにして生き方を選びとっていくのか、あるいはどのようにして生き方を選びとらないのか。
私たちは今、自らの生き方についてかつてないほど多様な選択肢を前にしているようで、実は自ら自由に選び取ることの許されている選択肢はそれほど多くないのではないかという思いがある。
予測困難な社会を生きる私たちの前に並べられた「選択肢」は、本当にその中から選び取らなければならないものなのか。
今はまだ見えていない隠れた選択肢が存在するのではないか、新たな答えを自ら導き出すこともできるのではないか——。
読者におかれては、題名にある「像に溺れる」ことの意味を沈思黙考し、自らのものにしていく過程を楽しんでもらえればと思う。
この小説を公開した今日、鹿間は父になった。
呱々の声をあげたばかりの彼の息子もこの予測困難な社会の中で成長し、大人になっていく。
その過程でいつかやってくるであろう多様な選択肢を前に迷う瞬間に、この小説が一筋の光になることを心から願っている。
2020年9月19日
Educational Lounge代表
羽場雅希