受験生の皆さま、お疲れさまでございます。
日本史科の佐京でございます。
今日は、タイトルの通り、文化史学習における仏像との付き合い方についてお話ししていきたいと思います。
目次
大学入試日本史の文化史で勝つために必要な勉強法
文化史の授業をしていますと、目を輝かせて聞いてくれている人から「なんでこんなの覚えなきゃいけないんだ」という不動明王並みの憤怒の表情の人までいろいろな生徒さんがいるものです。
普段から「日本文化」に親しみ、年に3回は京都に行き、初デートは鎌倉、好きな言葉は「重要文化財」!みたいな人でないと「仏像名を覚える」という作業は文字通り苦行でしょう。
仏像を見分けるポイント
「そもそもみんな同じにみえる」
こんな声をよく聞きます。まぁ仏像に限らず、自分の興味のない分野に関しては「みんな同じに見える」ものです。
でも、「その道」の人に言わせると、「何言ってんの全然違うよ!」と言われます。興味があるかないかというのは結構大きな問題ですね。
だからといって今からほとけさまに興味を持て、というのも暴力的です。だからもう少し考えてみる。
身近な「人間」に対して、「みんな同じに見える」とはいいませんよね。見分けくらいはつきますよね。
なぜか。
それは、人間の顔はだいたい同じようなつくりをしているけれども、アナタの脳みそがその人にしかない特徴を自動的につかんで認識しているからなのです。
そうすることで入試問題は、アナタの友だちの顔の写真を見せて「この人は誰ですか?」と問うているのと同じことになります。
仏像を見分けるには「見慣れること」が必要
具体的には何をすべきか。それは見慣れることです。
入学式の日は全然わからなかったクラスメイトも5月くらいには顔と名前と部活くらいまでは一致しているものです。
だから見慣れるために・・・
②授業の間の休み時間などに「日本史図録」の文化史のページを見る。
③携帯の待ち受けにする。
この時、作品名とともに見ることに注意してください。
顔がわかっても友だちの名前が出てこないのでは意味がないですからね(笑)。
文化史にも流れがあることを意識する
それと、その個別の仏像の知識を文化史の「流れ」の中に位置づけるのも大切です。
そもそも文化史の「流れ」って、思い浮かびますか?
今日は「仏像」がテーマですから、古代の仏教史を例にとって、そのなかに代表的な個別の彫刻を位置づけて考えてみましょう。
飛鳥文化
仏教が伝来したのは6世紀。具体的な年代については538年説・552年説がありました。
この時の仏教というのは「蕃神」、すなわち外国の神として渡来人たちが進行していたわけです。
さらに、飛鳥文化は中国南北朝の文化の影響を受けている。特に仏像彫刻では北魏様式と南朝様式が出てきます。
この特徴をおさえた上で、たとえば法隆寺金堂釈迦三尊像と広隆寺半跏思惟(弥勒菩薩)像を見比べてみれば一目瞭然です。
白鳳文化
天武・持統朝の時期を中心とした白鳳文化において仏教は鎮護国家思想への萌芽がみられ、国家仏教が形成されて行きます。
「聖観音」とは、超人間的な姿をしていない、すなわち人間とほぼ同じ姿をしている観音像のことです。
天平文化
日本仏教が鎮護国家思想に基づく国家仏教として発展していった時期です。
(741)国分寺建立の詔、(743)大仏造立の詔が出され、南都七大寺が朝廷に保護されていきます。
そんな中、いろいろな仏像が出てきますが、まずは乾漆像と塑像にわけてみましょう。
一方で塑像は粘土で作製したもので湿度・衝撃に弱いです。
乾漆像の方が、圧倒的に生産コストがかかります。
ですから、信仰心の厚い奈良時代以外はあまり見られませんし、本尊(=信仰の対象として最も尊重されている仏像)に用いられることが多いです。
例えば東大寺法華堂の本尊、不空羂索観音像は乾漆像、その守り神である執金剛神像は塑像です。
弘仁・貞観文化
ここから平安時代の文化です。
仏教の展開としては、まず密教があげられるでしょう。
朝廷は奈良仏教による政治介入を排除するため、遷都後は奈良寺院の平安京への移転を禁じ、その代わりに平安新仏教、すなわち最澄の天台宗と空海の真言宗を保護することとなりました。
密教仏の代表例はやはり観心寺如意輪観音像。
典型的な密教像ですし、優雅でかつエキゾチックないでたちでファンが多いです。是非とも写真でチェックしてくださいね。
①、②は用語集・資料集を参照していただくこととして、ここでは写真にて一目でわかる③翻羽式衣文を取り上げてみましょう。
神護寺薬師如来像や元興寺薬師如来像など、この時期の仏像彫刻に用いられていますから、時期の特定は比較的しやすいです。
国風文化
10~11世紀を中心とするいわゆる国風文化においては、極楽往生を願う浄土教が流行します。
その背景としては、密教の世俗化、地方政治の混乱などで、また末法思想により一層強化されていきます。
で、その浄土教において重視されるのが阿弥陀如来。
そう、「たくさん」作られるのです。
その理由の一つは、彫刻技法として寄木造が確立したから。
これによって材を超える大きさの仏像彫刻をつくることが可能となりますし、分業体制をとることも可能となります。
つまり、<末法思想の到来→浄土教がいっそう流行→阿弥陀如来像の需要増大→寄木造で大量生産>という流れで理解できるのです。
まずは代表例である平等院鳳凰堂阿弥陀如来像を典型として押さえておきましょう。
おわりに——文化史の「流れの中に」位置づける
ここでは、受験勉強としての「仏像」との向き合い方と、古代の仏教史の流れを例にとって、その流れに個別の仏像を位置づける、というやり方を実践してみました。
ぜひご自身なりにアレンジして、文化史の「流れの中に」位置づけるということをしてみてくださいね。
ではまた。
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」