首都圏の予備校に出講。
現代文の勉強法と解答法には定評があり、20年以上の講師経験を生かして様々なケースにピタリと合った弱点克服法と得点奪取の方法を伝授する。
時折、文学研究の経験から、興味深い文学作品の解説も行う。
概観
今回はリード文がなく、問2、3の傍線部の論理把握で本文全体に通底するテーマの把握をさせる問題作りになっていた。それは、「戦時中というマイナスイメージの環境の中で、逆にプラスイメージの別次元の世界での平穏な日々とその追想」というテーマで一貫していた。これは、2012井伏鱒二「たま虫を見る」2013牧野信一「地球儀」2014 岡本かの子「快走」2015 小池昌代「石を愛でる」という4年間のタイプの再現となった。また、このマイナスの環境の中でのプラスの望み」は、14年「快走」01年 津島佑子「水辺」に共通する。
設問別分析
設問ごとの詳細分析は以下の通り。
設問別分析――問1
問1はとても常識的な範囲の語彙となった。
ア「興じる」が「面白い」で①。
イ「重宝がられる」とは、「使われやすい」ことで①である。
これは、87行目「善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押しつけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。~~……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男」像に通じる「川瀬成吉」像の伏線として面白い。
ウ「晴れがましい」は、④の「誇らしく堂々と」である。これは「ハレとケ」を思わせ、本文テーマに通じるが、その軍服姿の「晴れがましさ」があるほど、「病躯をかかえ、とぼとぼと郷里に死にに還る」男の悲哀が痛烈に響く。だからこそ、「晴れがましい」は、「生き生きとして、軍服に誇りや矜持を持つ」ことにならなければならない。
設問別分析――問2
冒頭に挙げたプラス/マイナスのヒント問題。
「Aそうした、暗い、望みのない明け暮れにも/私は凝っと蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった」とあり、「マイナスにも回想にふける」である。これが④の「戦局の悪化、災いが降りかかる状況を顧みず、私は亡き妻への思いにとらわれ続けていた」と一致する。
①「妻との思い出に逃避し安息を感じていた」、②「妻との生活も思い出せなくなる」、③「生活の意欲を取り戻そうとした」、⑤「かつての交友関係にこだわり続けていた」が不適切。
設問別分析――問3
これも冒頭に挙げたプラス/マイナスのヒント問題。
傍線部直前で「軍事教練に興じて」いる。さらに「兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っている」。「だが、C何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった」=次段落「目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ」とある。ここは、「陽気に騒いでいるが、憂鬱な影がある」という論理である。
「平穏な日々の生活の中に忍び寄る戦禍で不穏なものを感じている」。これは、②の「明るく振る舞ってはいても、以前の平穏な日々が終わりつつある」が正解。他の選択肢は、「プラスでもマイナス」という論理はない。
設問別分析――問4
「川瀬成吉」像の伏線問題。
「私も頻りに上がってゆっくりして行けとすすめたのだが、C彼はかしこまったまま、台所の閾から一歩も内へ這入ろうとしない」のは、「真面目で頼まれやすく無理をして疲れ果てる」人物像に通じる。
ここの根拠自体は、冒頭にあげた87行目「善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押しつけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。~~……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男」像の箇所に89行目「台所の閾から奥へは遠慮して入ろうとしない魚芳」で取れる。
⑤の「姿勢を正して笑顔で対面しているが、かつて御用聞きと得意先であった間柄を今でもわきまえようとしている」が、先ほどの遠慮と一致する。
設問別分析――問5
設問でリードしてきた物語の内容を確認させる問題。
各選択肢に惑わされず、ここで説明されていなければならないものを捉える。それは本文に通底する「川瀬成吉」像である。
それは90行目の「病躯をかかえ、とぼとぼと郷里に死にに還る男」である。それが最後の一文でも「終戦後、私は郷里にただ死にに帰っていくらしい疲れ果てた青年の姿」として、この小説の書かれた時代状況までも表現していたことと一致している。
この「死にに帰る男」に触れていなければならない。それが唯一②の最後でだけ「終戦後、汽車でしばしば見かけた疲弊して帰京する青年の姿に、短い人生を終えた魚芳が重なって見えた」と触れていたので明らかに正解となる。
設問別分析――問6
例年通りの表現の「適切でないもの」問題であり、解答も例年通り、「漠然とした表現で一見適切に見えるが、正しくない」ものが正解だった。
今回は、③の「ユーモラス」であり、⑥の「『私』の生活が厳しくなっていった」である。「ユーモラス」も「厳しい」の曖昧な表現であり、実は物語に何ら具体例がない説明であった。