
こんにちは^^
難関大学受験LIBERA塾長であり、
アオイゼミ・最難関大学受験塾IRL・城南予備校数学科講師の山﨑です。
キミは数学が得意ですか?それとも苦手ですか?
得意な人にはちょっと関係ない話かも^^;
数学が苦手な人にはちょっとだけ勇気がでるかも?(笑)といったお話です。
それかほっとするかもですかね(笑)
まあどちらにしても楽しんでもらえる話だと思います^^
算数・数学で挫折を繰り返した少年時代
少しばかり昔話をしたいと思います。
数学の講師を十数年しておりますが、実に【算数・数学】がとてもとても苦手な子でした。
この話をすると誰も信じてくれませんが、本当です。
どのくらい苦手かというと、問題集の一問目から解けないくらい苦手でした。
さて、そんな【算数・数学】が苦手な『しんたろー少年』が(私、名前を慎太郎といいます)、どうやってその苦手な算数・数学を克服し、今では数学講師をやっているのか?
まずお伝えしておかなければならないのは、【算数・数学】の挫折ポイントが少なくとも4,5回はあったということです。
最初の挫折――別メニューを与えられた「ひき算」
まず記念すべき第1回目は『小学校1年生』のときです。
早いですよね(笑)
たし算・ひき算でつまずきました。特にひき算。意味不明でした。
今でも覚えているのが、2学期自分だけ別メニュー。
みんなが二けたの足し算引き算をやっている中、
5-2=?
9-4=?
なんてことをやっていたのを覚えています。学校から電話もあったそうです。
しんたろうくんは、他の子より(だいぶ)出来ていないので、夏休みの間にお母さんが問題を作って練習をさせてください。
えっ…、そうなんですか…
という電話があったそうです。今では笑い話になってはいますが、
当時は深刻だったそうです。
しかも、このころの『しんたろー少年』の深刻さは他にもありました。
★宿題をやっていかない
宿題をやっていかないせいで、クラス全員の前で一人立たされ、先生にブチ切れられる…そんなかわいいかわいい小学校1年生でした。
いつも担任の先生に「なんでお前はやってこないんだ!!!」と吊るし上げられ、泣いていたのを覚えています。
二度目の挫折――九九で直面した「七の壁」
続いて第2回目です。これは『小学2年生』のときでした。
九九をやるわけですが、七の段から進めないのです。
当時のしんたろー少年にはこの【七の壁】はあまりにも高く全くもって歯が立ちません。覚えればよいはずなのに何故か覚えられないのです。
そして、業を煮やしたのかここで満を持してパパ上の登場です。
ちなみに私のパパ上は『海上自衛官』でした。そもそも厳格?なタイプであり、完全に武闘派。小さい頃から何かしたときにはまず張り手が飛んできてましたね(笑)。
そんなパパ上が、私を見て「こいつはヤバい」と思ったのでしょうね。
そうです【第一次地獄の特訓】が始まります。
私がわからなくて手がとまっていると、
何でこんなのもわからんのだ!
どうしてそうなるんだ!
この馬鹿もんがぁーーー
しまいにゃ恒例の張り手です。まあげんこつもありましたね(笑)
とりあえずわんわん泣きながらやった記憶しかありません。もう本当に嫌でした。その結果できるようになったかはもはや謎です。できるようになった覚えは残念ながら…。
その後は特に何もなくというか記憶にないくらいスルーっと時が過ぎていきました。何とかごまかしつつ乗り切ったのでしょう(しんたろー少年は社会だけは得意だったので、いつも100点の答案を見せて両親を安心させていたのかもしれません)。
そして、中学に上がり1年2年と何事もなく過ぎて…いや、勝手に過ぎていってしまいました。
これから起こるであろう大砂嵐に、しんたろー少年は全く気付いていません。
そして実はここが大きな山場であり、数学ができるようになった一つのターニングポイントでした。
では、また次回お会いしましょう。
記事一覧
第1回 『LIBERA塾長』のこうして数学できるようになったのよ〜①小学生編
第2回 『LIBERA塾長』のこうして数学できるようになったのよ〜②転機
第3回 『LIBERA塾長』のこうして数学できるようになったのよ〜③学んだこと

大学受験専門塾LIBERA塾長・予備校講師。
数学を通して生徒の想像力と独創力と忍耐力を養成する。自身が数学で苦労した経験を踏まえた懇切丁寧な解説と、明るい人柄が生み出すテンポの良い語り口で全学年・全レベルの受験生を魅了する。