9個のマスに自分をを含めてさまざまな人を当てこんでいく

――MGさんを見ていると、まずは使命感とともに動き出していて、理屈は後からついてきているように思えます。MG:

先にいろんなことを考えると動けなくなるよね。

自分の歌に「九命くくぬち侍」というのがあって。

「くくぬち」というのは、沖縄の数え方で9(編注:1から10までを「 ティーチ、ターチ、ミーチ、ユーチ、イチチ、ムーチ、ナナチ、ヤーチ、ククヌチ、トゥー」と数える)。だから9人の侍という意味なのさ。でも漢字は「九命」。「命」も「ぬち」と読むさ。「ぬちどぅ宝」みたいに。その「ぬち」も掛けて。

この歌の背景には昔言われたこんなことがあって。
「四つ角に仲間がいたとしたら、誰かが上に行ったとしたら対角線上にいる人は下に下がる。そんなことしたらダメだ」と。じゃあみんなを上げるためにはどうするかと言ったら、「ここに九マスあると考えて、自分を中心に置く。そして残りの全てマスに自分以外の人が集まった時に、自分が上にいけばみんな平等に上がるし、なんでもできる」と。だから、やるのは自分。自分が全ての責任を負ってやるんだけど、自分にない能力を持っている人たちをはめていけば、なんでもできる。考えが楽になったよ。これを歌にしたわけ。だからYouTubeの名前も沖縄サムライさ。今、九人の仲間を探しているんよね。

「九命侍」の概要

昔々、天の声を聞いて「よし、これをやろう」と心に決めた侍が、雄叫びをあげ、馬にまたがって走っていく。まずは首里に向かって走ろうと、首里に向かう。

首里には首里城があり、そこには「たまぐすくのウェーカタ(=親方)」、玉城デニーさんがいる(歌を作った時点)。玉城の親方に天の声を届けたところ「あんたではだめだ。これをもしやりたいんだったら九人の侍を探してこい」と指令される。

了解した侍は、それから糸満、玉城、豊見城を周り、豊見城で二の侍に出会う。二の侍は海に山に里にずっと祈りを捧げ、ユタやノロを信じる「拝む人」であった。そして、二人はまた走り出す。そして浜比嘉や沖縄全島を走り回って、知花で三の侍を見出す。侍たちは駆け巡り、今度は東から西に沈む太陽を沈まさないために北部に走り、沈みそうな太陽を持ちあげようとする。

侍が通った後は民も笑い福い、この侍たちが全島を駆け巡って、その後はどんどん国が栄えていく。
そして最後に、受け取ったみんなの気持ちを首里に届けよう。

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「ゆいまーる」の輪が広がっていけば、どんな場所でも生きていける

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