地域のおばぁたちが喜んでいる顔が見えるのが一番良い
―― MGさんの人生の転機を教えてください。MG:
エイサー(注)との出会いだね。エイサーをずっとやってきて、絵に描いたような「クソガキ」だったこの自分が地域のおばぁとかに喜ばれるってのがとっても大きなきっかけになってると思う。地域のこと、おばぁのこと、祖先崇拝と供養、その手伝いをしているのがエイサーさ。
(注)エイサー――沖縄の伝統芸能のひとつで、内地の盆踊りにあたる。主に各地域の青年会がそれぞれの型を持ち、旧盆の夜に地域内を踊りながら練り歩く。
相当荒れた小中学生時代を過ごし、高校も1年で中退。それ以降は仕事をやっても続かず、転々としながらも、エイサーだけはずっと続いたね。
中学校を卒業する前に、体育祭で地元の青年会がエイサーを教えにきて、それがもう楽しくて。中学校卒業したら地域の青年会にすぐ30人ぐらい連れて入ったのよ。そして19歳のときに青年会の会長になって、まずは冬のオフシーズンの間にエイサーの型、踊り方や曲順、曲調を変えたり、公園にたむろしているいわゆる「不良少年」たちを青年会にリクルートしたり。「来年のエイサーがはじまるときには青年会に入れ」と。勝手に作った曲を教えて。
で、いざ練習時期になったときは、見に来ていたOBたちが激怒するわけよ。勝手に型を変えていたので。そして「1年目はできたとしても長続きしないだろう」という冷ややかな目を向けられていて。でも、だからこそ自分は、「絶対に今の波を落とさない、常にレベルアップさせていく」と心に誓っわけさ。エイサーはお盆が本番で、練習は5月か6月からなので、冬の間は内地に出稼ぎに行って、帰ってきたら人を探して……。
エイサーの本番である沖縄のお盆は、ウンケー、中日、ウークイと3日間あって。初日のウンケーというのは「迎える」、ウークイは「送る」という意味。だから、太鼓の音を鳴らしながら家々の前を回って先祖の霊をエイサーの音とともに迎える、そして中日はお家で楽しくやってもらって、最後のウークイのときにまた送り出す、というのが本来のエイサーさ。地域のために各地域を練り歩く。やっぱり地域のおばぁたちが喜んでいる顔が見えるのが一番良いさ。そこに尽きるよ。楽しいもんね、人を喜ばすってのが。
――青年会時代の一番の思い出は何ですか?
MG:お盆が終わった後には「全島エイサーまつり」というのがあって。これは県のイベントなので、沖縄市からは2団体しか出ることができない。自分たちの住む沖縄市だけでも約40くらいの青年会があったので、全島エイサーで踊れるというのは本当に名誉なことで。
でも、自分たちの青年会は沖縄市のエイサー隊をまとめる沖縄市青年団協議会というのに加盟すらしていなかったので全島エイサー祭りはおろか、大きいイベントの出演資格さえ持っていないから、イベントといえば商店街の裏の細い路地でやっているくらいしかないわけよ。それでも、自分が会長になった時は「5年で絶対に全島エイサーまつりに出てやる」と決意して。そのために毎年毎年エイサーを磨いていって、ついに推薦してもらえたわけ。4年目で。久々に出るどころか、30年ぶりくらいに出られる機会をもらえた。ただ、その時は断ったんよね。「いや、まだです。今のレベルではまだ出たくない」と。
そして、さらに磨いて5年目。ついに初めて全島エイサー祭りの出場が叶った。青年団協議会にも入ってなかった5年前の19歳の自分が、念願の全島エイサー祭りに出て。で、そこで引退。その時はもう号泣さ。感極まって。最高だよね。