古文解釈と主語把握① 述語と助詞への着眼

はじめに

受験生や高校生のみなさんは、「古文は主語の省略が多いので注意しなさい」とどこかで言われたことがあるのではないでしょうか。本稿では、数回に分けて主語の把握についてお話をしたいと考えています。

なんで主語を省略するの?

古文では主語が省略されることが多いと言われますが、それは古文だけではなくて現代日本語でもよく起こっていることです。

「昨日の夜、何食べた?」
「うどん食べた」

という会話では、前者は「あなた」、後者は「私」が省略されています。わかりきっているので、書かなくてもよいわけです。この点からすると、省略というよりは、わかるからもともと書かれていない。それを補うというのが適切かもしれません。
そこで、これから「主語の補訳」とか「主語の補い」と呼ぶことにしたいと思います。

まずは述語に着目してみよう

たとえば、教室で古文の授業が行われているとします。
誰かが教室をのぞきました。
そして一言。

「あ、今古文教えているのか」。

この場合「教えている」とあるので、主語が前に立って教えている人物だとわかります。
しかし、

「あ、今古文受けてるのか」

であれば、
授業を受けているのは生徒たちということになります。

つまり、述語から主語が明らかであれば主語を明示しなくてもよいということなのです。そこで、古文でも、まずは述語をしっかりと捉え、「この動作ならこの人が主語だ」と述語から把握していくことが大切です。

助詞にも着目してみよう

受験参考書でよく見かけるのは、「て、で、つつ」という助詞の前後では主語が変わらないというものです。

確かにそういう事が多いです。現代でも、「私は、家に帰って、ごはんを食べて、宿題をしつつ、テレビを見て、明日のことは考えないで、寝る」であれば、主語はずっと私です。

しかし、必ずしも変わらないというわけではありません。変わるケースも少なくないのです。
そこで、前述のように述語に着目することが大切なのであって、「『て、で、つつ』があったら変わらない!」と決めつけることはとても危険だということになります。

また、「を、に、が、ど、ば」や「を、に、ば」の前後では主語が変わると言われることがありますが、これも変わる可能性があるということで、絶対に変わるという事ではありません。例えば、現代語の次の例を見てみます。

1、私がテストで悪い点数を取れば、怒られるだろう。
2、私がテストで悪い点数を取れば、怒るだろう。


1、の場合は「ば」の前も後も主語は私ですが、
2では「ば」の後では主語が変わっています。
先生なのか、お母さんなのか、それは前後のお話によって様々な可能性がありますので、この一文からはわかりません。

主語把握で結局なにが重要なの?

以上説明してきたことを基に、まとめますと以上のことを意識することが大切です。

 
  1. 登場人物の把握(主人公は?、他に誰が出てきて、どういう関係なのか)
  2. 述語を追う(誰の動作だろう?)
  3. 助詞に着目
    「て、で、つつ」→青信号型。主語が変わらない可能性が高いが、変わることもあるので、注意。
    「を、に、が、ど、ば」→赤信号型。主語が変わる可能性があるので、慎重に。


青信号だからって必ず安全とは限りませんし、車がきてないからと赤信号を無視してはダメですよね。

ちょっと練習してしてみよう
成方(なりかた)といふ笛吹きありけり。御堂入道殿(みだうにゅうどうどの)より大丸といふ笛を賜はりて吹きけり。めでたきものなれば、伏見修理大夫俊綱朝臣(ふしみのすりのだいふとしつなあそん)欲しがりて、 「千石に買はむ」 とありけるを、売らざりければたばかりて使ひをやりて
…以下省略

(『十訓抄』より)

<単語>
○ 賜る…謙譲語、頂く
○ めでたし…すばらしい
○ たばかる…だます

 

傍線部①と②の主語が分かりますか?

まず、登場人物ですが、

・成方
・御堂入道殿
・伏見修理大夫俊綱朝臣


の三人ですが、主人公は「成方」ですね。
御堂入道殿は、成方に大丸という笛をあげた人で、ここでは実際に本人が登場はしていません。伏見修理大夫俊綱朝臣は、成方の大丸を欲しがっている人でした。

伏見修理大夫俊綱朝臣欲しがり《て》、


「て」があるので、
このあとも俊綱が主語の可能性が高そうです。

「千石に買はむ」 とありけるを/、売らざりければ、/たばかりて使ひをやり《て》


「笛を千石で買おう」というのは俊綱です。
「を」があるので、主語が変わるかも。
「笛を売らない」のは成方ですから、①の主語は成方です。

また「ば」があるので、変わるわるかもと思って読むと、
「たばかり=だます」わけです。
だまして笛を手に入れようとするのは、俊綱ですね。
そこで②の主語は俊綱です。

終わりに

本稿では、古文の主語把握について、述語と助詞に着目することについて述べました。他にも様々な着眼点がありますので、次回以降述べていきます。
必ず、各自練習をして、自分のものにしてください。

また、強調しておきたいのは、主語の把握が目的ではなく手段であることです。主語の把握は、古文解釈において重要なことではありますが、全てではありません。主語が分かるから読めるということもあれば、ある程度読めるから主語が分かるということも出てきます。主語が分かればそれで、古文がすべてわかるわけではないことは協調しておきたいと思います。

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葛西佑也——Yuya KASAI

大手予備校・高校等に出講。

日本古典文学研究と予備校や高校での古典講義を中心に精力的に活動。日本古典文学、中でも中古・中世、歌論、美術史をはじめ、興味関心は多岐にわたる。講義を通して古典に親しみ、その世界観に魅了される生徒は後を絶たない。