現代文読解の第一歩〜「読める」への布石①

現代文が「読める」?

現代文を教えていて,「現代文が読めません」「読めるんですけど,解けと言われると全くわからないんです」などという相談は毎年多いもの。

どうすれば現代文が「読める」と思えるようになるのか,「読めるけれどわからない」という悩みを解決するにはどんな意識が必要なのか,今回はこのあたりに焦点を当ててみたいと思います。

筆者と受験生と出題者

さて,本題に入る前に,まずは大学入試現代文について持っておきたいイメージを確認しておきましょう。
まずは当たり前に思えるような関係のお話から。
次の図をご覧ください。

文章というのには「書き手(=筆者)」がいる。そしてそれら「書き手」はほとんどの場合が「読者」に向けて文章を書いているわけです。ちなみに,大学入試においては受験生がこの「読者」にあたります。

つまり,「筆者は読者に向けて文章を書き,読者(受験生)は文章を通して筆者の言いたいことを理解する」という関係が成り立つわけです。ここで注目しておきたいのが,「筆者」と「読者(受験生)」を繋ぐのは「文章」のみであるということです。

そして,現代文の問題には「本文」と「設問」とが用意されているわけですが,それも考慮に入れるなら,大学入試現代文はこんな関係になっているわけです。

お気づきですか?

ここで,「出題者」という新たな存在が出てくるわけですが,出題者も当然,文章に基づいて設問をつくる。ということは,受験生と出題者(あるいは設問,あるいは解答)を繋ぐ最も太いパイプも「文章」なのですよね。お互いが同じものを読み,設問もそれに基づいて出題されている。ということは,やはり文章がしっかりと「読める」に越したことはないわけです。

そもそも「読む」って?

一口に「読む」と言っても,おそらくそれが表す内容は人によってかなり異なっていることでしょう。

文字を読める(≒音読できる)だけでも「読める」と言いますし,書かれている内容を理解することも「読める」と言い,そこに自分の解釈や意見を加えていくことも「読む」と言う…。
では,大学入試の現代文が「読める」とは一体どんな状態を指すと考えれば良いのでしょう。

先ほどの図で確認したように,出題者は文章に書かれている内容に基づいて出題してくるという前提に立つのであれば,大学入試現代文で求められる「読める」状態というのは,「書かれている内容を書かれている通りに理解し、自分の中で『こういうことだ』と(できるだけ正確に)飲み込めている」状態だと考えておくと良いかもしれません。もちろん,書かれている内容に自分の解釈や意見が加えられるならそれは素晴らしいことですが,そのためにもまずは「書かれている通りに理解する」という視点が欠かせません。では,そのように「読める」状態になるのに必要なポイントはなんなのか,次回はそれについて考えていきたいと思います。ここまでは長い長い導入ということで。

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羽場雅希——Masaki HABA

首都圏の予備校・高校に出講。

誰よりも自身が文章と戯れることを楽しみつつ、受講生の誰もが理解でき、かつ汎用性の高い考え方を提供する授業に定評がある。

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