佐京由悠の京都の歩き方~清水寺編~

清水寺 ~あまりにも有名な京都観光のド定番~

さて、まずは「清水寺」から取り上げることにいたしましょう。

もうね、絶対いくでしょ、もうとりあえず清水ってな感じで。
でも、このお寺、実は日本史ですごーく有名な人が関わっているお寺。
まずはここからのぞいてみましょう!

歴史

(778)僧賢心(のち延鎮)が清らかな滝(音羽の滝)の近くで草庵で修行
(780)坂上田村麻呂が仏殿を寄進
→音羽の滝にちなんで清水寺と名付ける
(797)坂上田村麻呂、征夷大将軍に
(802)坂上田村麻呂が蝦夷の首長阿弖流為アテルイらを連れ帰る
*たびたび戦乱に巻き込まれ焼かれる ex.(1165)、(1469)など
(1633)本堂や地主神社の再建by徳川家光
(1994)ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつに登録

 

時は奈良時代。

賢心というお坊さんが清らかな滝(のちの「音羽の滝」)の近くに草庵(修行のための簡素な建物)で修行しておりました。

そこに現れたのが坂上田村麻呂。そう、この人、のちに征夷大将軍に任命される武将ですね。その田村麻呂がなんと鹿狩りにやってきたのです。で、簡単に言うと怒られるんですね。無用な殺生はやめなさいって。
そこで田村麻呂、すごく反省をしてその草庵に仏殿を寄進することになりました。
これが、清水寺のもとなんです。
*****
それからしばらくたった797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍に任命されます。征夷大将軍とは、古代、「蝦夷」の「征討」のために設けられた「令外官」です。坂上田村麻呂に先立ち、紀古佐美という人が東北の蝦夷征討に出かけていましたが、その時は蝦夷の族長阿弖流為アテルイに大敗を喫していたのでした。そこで桓武天皇は田村麻呂を征夷大将軍として派遣したのです。

さて、田村麻呂。見事、蝦夷の族長阿弖流為アテルイ、そして母禮モレを帰順させることに成功し、平安京に連れて帰ることとなります。
田村麻呂は、平安京で桓武天皇に

この度は願いにまかせて返入せしめ、其の賊類を招かん

(『日本略記』)

と二人の助命を嘆願したものの、公卿たちの反対も有り処刑されてしまうのです。
(→【みどころ】)

さてその後、中世、近世とたびたび戦乱に巻き込まれましたが(全部で9回!)、「清水の観音さん」とすでに民衆から親しまれていた清水寺、そのたびに再建されてきました。特に1633年の徳川家光のころの再建は有名で、現在皆さんが見ることができる清水寺の本堂はこの時に再建されたものなのです。

そして1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されるに至りました。

みどころ――清水の舞台/音羽の滝/阿弖流為・母禮の碑

清水の舞台

清水寺の見どころといえばやはり「清水の舞台」でしょう。

そもそもなぜ「舞台」なのか。
清水寺の本尊(その寺院で最も大切にされている仏像)は十一面千手観音。「観音さま」というのは正式には「観世音菩薩」といい、清水寺の本尊は11の面と42の手によって人々の願い(世音)を聴き(観て)、願いをかなえてくれるという仏様。清水の舞台とはそんな「清水の観音さん」に、法会の際にさまざまな芸能を奉納するためのものなのです。

さて、よく「清水の舞台から飛び降りる」なんていいますけれど、これは「死んでしまうかもしれない、そんな一大決心もってものごとを行う」なんて意味で使いますよね。
実際は、というと…結構飛び降りた人、いるんですよね。で、江戸時代のデータをもとに生存率を算出しますと、実に85.4%。
あれ…意外と…いやいや、絶対マネしちゃいけませんからね。

さて、この清水の舞台、高さは13m、ビルの4階に相当する高さです。
山の斜面にもたれかかるようにできているので「崖(懸)造」なんていいまして、釘を一本も使っていないことでも有名です。

ワンポイント
この清水の舞台では記念写真をとりましょう!
清水の舞台の端にたって、背後の山の方から写真を撮ってもらってください。
ちょうど背中側に京都タワーが見えますから、遠近法で京都タワーをつまんでいるような写真が撮れますヨ。

 

音羽の滝

【歴史】のところでも述べましたが、清水寺は賢心という僧侶が近くで修行していた清らかな滝がその発祥です。その滝とされるのが、現在の「音羽の滝」なんですね。

この「音羽の滝」、舞台の真下にあるのですけれど、3本の筧から水が流れているのがわかります。それぞれ「延命長寿」「恋愛成就」「学問上達」とされることがありますが、確証はないようですね(そりゃそうか・・・)。まぁ、全部一口ずつ飲んじゃいましょう!

 

阿弖流為・母禮の碑

さて、【歴史】で登場した阿弖流為アテルイ母禮モレ、1994年、その鎮魂慰霊のために設置されたのがこの碑です。

清水寺の出口にほど近いところにあるので、見逃しがちなのですが、「ここぞ清水寺!!!」というスポットなのでぜひともご覧になってくださいね。

周辺スポット――地主神社

地主神社

「じしゅじんじゃ」と読みます。

この神社、清水寺本堂の北側にある神社でして、なんといっても有名なのは「恋占いの石」ですね。実はこの「恋占いの石」、縄文時代の祭祀遺物であったことが近年調査でわかったのです。

占いの方法はいたってカンタン。

10mほど離れて設置している1対の石、片方の石から反対側の石まで目を閉じてたどり着くことができれば恋愛が成就する

というもの。

2度3度チャレンジするとその分だけ成就は遅くなり、人の助けを借りてたどり着いた場合は人の助けによってその恋愛が成就するそう。え、意外とコワくない?
このような占いは江戸時代にはよく行われており、浅井了意の『出来斎京土産』には「目をふさぎて、掘りすへたる石より石まで歩みよるに」と紹介されています。
地主神社はもともと、清水寺の鎮守社。鎮守社とは神仏習合の中で寺院を守護するためにおかれた神社のこと。こんなところにも「神仏習合」を確認できますね。
さてこの地主神社、祭神は「大国主命」出雲大社と同じです。なるほど、縁結びにご利益があるのも頷けますね。

 

八坂の塔

正式には霊応山法観寺五重塔

聖徳太子が建てたとする説は室町時代以降にみられるもので、信ぴょう性には欠けますが、平安時代以前からある古い寺院であることは間違いないようです。
ここは有名なフォトスポットでもありまして、八坂通から八坂の塔を見上げるアングルでとるとポスターのような構図になります。

フカボリ――山号/北法相宗

山号

よく「〇〇山△△寺」っていいますよね。この記事にも何度も出てきます。この「〇〇山」のことを山号といい、もとは同じ名前の寺院を区別するためにその地名などを山号としてくっつけたのがはじまり。清水寺が「音羽山」なのはもちろん、音羽の滝からきているわけです。

北法相宗

さて、清水寺の宗派は北法相宗です。「法相宗」に北がついている。
法相宗というのは、奈良時代の南都六宗のひとつです。1965年、当時のご住職大西良慶和上が、現代社会に対応した仏教とは何か模索し、災害からの復興や社会福祉を重視していこうということで独立に至ったもの。清水寺は法相宗の中心寺院、興福寺の北側にあることから「北法相宗」となったわけですね。

基本データ

アクセス
市バス「清水道」バス停下車 徒歩10分
市バス「五条坂」バス停下車 徒歩10分
京阪電車「五条」駅下車 徒歩25分

拝観料 400円(中学生は200円)
拝観時間 6:00~18:00


「佐京由悠の京都の歩き方」
第一回 清水寺編

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