34歳の誕生日に沖縄の海で考えた、学ぶことの意味。

こんにちは。
先日34歳になりました。またひとつ、見た目に年齢が追いつきました。(見た目年齢の進行にストップをかけたい‥‥)

当日は出講先の授業がお休みだったので、沖縄に遊びに行きました。

6月の最初の月火は休みだし、夏はどうせ忙しいからその前に息抜きをと4月ぐらいに決めて以来、前日までノープランでしたが、なんとかなりました。

しかし、ノープランっぷりがよくわかるのが、6月初旬は沖縄は梅雨時なのですね。

初日は豪雨。2日目朝も豪雨でした。
しかし、昼からは徐々に晴れていきました。
日頃の行いが良いですね(?)

素晴らしい南国の日差しも浴びることが出来て、何よりでした。

名護で車中から見た光景

さて今回は沖縄本島北部にレンタカーを走らせ、オシャレなカフェや綺麗なビーチでのんびりしようとしていたのですが、名護のあたりで対向車線に夥しい数の大型トラックが並んでいました。辺野古の埋め立て用の土を積んだ車両でした。そして、それから4時間後、帰りに通った時にも数キロにわたってトラックが並んでいました。

名護の海はとても綺麗です。美ら海ちゅらうみとはよく言ったもので、一見の価値があります。そして、辺野古の海を巡る様々な問題はニュースなどでもちろん知っていました。

辺野古の海が埋め立てられることは、そこに住む人達の美ら海が奪われること。
一方で、軍隊を持たない我が国の防衛の観点からして、基地は必要なものだと言わざるを得ないのではないかということ。

この種の問題は単一の視点からでは語ることが難しいものだと感じています。

34歳初日の沖縄で考えた、勉強の意義

世の中に溢れるニュース、書籍、ネットの記事やSNSの投稿はすべて「ある立場」からの意見でしかありません。反対に言えば自分の立場も、ある・・「偏り」を帯びることは避けられません。

その上で我々は何らかの「決断」をしなくてはなりません。表明の有無を問わず、自分の考えを持つことを迫られるのが民主主義の状況下の大人と言われる人達の責務なのです。(もちろん、表明しない、考えない自由もありますが)

そして、その考えのベースを作るのがみなさんが行っている勉強なのです。

今の勉強は科目を問わず今の社会に繋がっています。文系にとっての理系科目も、またその逆も同様です。

もちろん、受験の突破のための点数作りは大切です。しかし、受験の突破はあくまでも通過点であり、ひとつの手段でしかありません。その先にも学ぶことが待っています。

大学で学問の道を究めるにせよ、就職するまでのモラトリアムとして遊ぶにせよ、最後は社会に出る人間になるのであれば、やはり学ぶことからは逃れられません。あらゆることから学んで、そしてより良い社会を作っていくことが「大人」としての責務のひとつです。

何より、令和の時代やその次の時代をまさにみなさんが作るのです。
そのためにも今この瞬間の勉強で多くを学んでください。

そんなことをふと思った誕生日でした。
私自身も教室で、そしてこの媒体でみなさんを教育する立場であることを考えさせれました。

お互いに学び続けましょう。

それでは。

広告

※本記事はプロモーションを含む場合があります。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事