語りの構造①――太宰治「トカトントン」

太宰治の『トカトントン』は、『群像』昭和22年1月に発表された。この作品は〈私〉(戦争帰還兵保知ほち)が〈あなた〉(金木町に罹災中の作家)に宛てた書簡形式の告白体である。しかし、この手紙には破綻が多く散見され、〈私〉自身の「語り」が、矛盾に満ちているのである。

一文のみ表現された「語り手」の視線

この詳細は後で述べるが、私を大いに刺激したのは、今作品末尾に一文のみ表現された「語り手」の視線である。

ここで〈あなた〉は〈私〉に冷酷な返事を出して一線を画すことになるのだが、その当の本人である〈あなた〉とされる某作家も、「語り手」によって〈無学無思想の男〉と裁断されてしまっているのである。この作家の返信にある〈身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ〉というマタイ伝の一節自体が、〈私〉に向けられただけではなく、「神の視線」を持つ「語り手」の存在によって、むしろ〈あなた〉とされる某作家である太宰自身にこそ向けられた言葉なのである。ここに発見した「構図」は、太宰文学全体に通底する『演技性』の「構図」である。

語り手は徹底して「わからない」と告白し続けることによって、逆に世間を「わかって」いると信じて疑わぬ「大人たち」の偽善を照らし出していく。生活能力に欠けるという事実は、ここでは逆に純粋無垢であることの証となり、周囲のエゴイズムを映し出す鏡へと反転していく。(中略)語り手は実はすでに(人間の営み)をかなりの部分まで見通していたのであり(中略)自己を生まれついての疎隔者とするための意図的トリックでもあったわけである。自己弁護しながら周囲への批判を展開していく手記の書き手の姿が浮かび上がってくる。

(安藤宏「太宰治「弱さを演じるということ」ちくま新書平成14年)

つまり、「執筆者太宰」が〈あなた〉とされる「某作家太宰」を、劇中劇の作家かのように登場させ、時代を包む「エゴイズム」を表現したのである。その上さらに今作品では、神の視線を持つ「語り手」が「某作家」にマタイ伝の一節を引用させることによって、その「エゴイズム」をも相対化し、戦中戦後の時代をも超えた『堕落』の「普遍化」に成功しているのである。構成上の破綻から登場人物双方のものと考えられる「エゴイズムに基づく苦悩」を『堕落』が止揚しているのである。

作品構成上の破綻

先に指摘した「作品構成上の破綻」を見ていく。この作品のモチーフは、昭和21年9月30日付青森県金木町津島文治方より水戸市西原町吉村トミ方 保知ほち勇二郎宛葉書に明らかである。

  こんどの仕事の中に、いつかのあなたの手紙にあつたトンカチの音を、とりいれてみたいと思つてゐます。(まだ、とりかかつてゐませんけど)もちろん、、、、あなたの、、、、手紙を、、、そつくり、、、、引用したり、、、、、、そんな、、、失禮な事、、、、は絶對に、、、、いたしません、、、、、、から、、。また、あなたに少しでもご迷惑のかかるやうな事は決してありませんから。トンカチの音を貸して下さるやうお願ひします。若い人た、、、、ちのげん、、、、ざいの苦、、、、書いてみたいと思つてゐるのです。(傍点沖田)

(筑摩書房版全集第十一巻 昭和46・1)

このように、きっかけはある一ファンの手紙にある。しかし、太宰本人も「もちろん、、、、あな、、たの、、手紙、、そつくり、、、、引用したり、、、、、、そんな、、、失禮な事、、、、は絶對に、、、、いたしません、、、、、、」と述べるとおり、それは単なるきっかけにすぎず、あくまでも「若い人た、、、、ちのげん、、、、ざいの苦、、、、」を書いたのである。だがこの一見、なんらの懸念もなく看過される理解に、私は異を唱えてみたいのである。ここには、太宰本人が意識したか否かにかかわらず、「若い人た、、、、ちのげん、、、、ざいの苦、、、、」ではなく、「太宰本人の苦悩」が表現されているのである。つまり、「語り」の形式を多用した作家である太宰は、今作品でも「」の「語り」の形式をとりながらも、実は自分自身の苦悩を吐露することになったのである。この根拠は、作品中に見られる幾多の「作品構成上の破綻」である。この破綻箇所を次に列挙する。

(ページ数は新潮文庫昭和25年初版による)

作品構成上の破綻1「書き出し」

拝啓。一つだけ教えて下さい。困っているのです

ここに「敬体」から始まっているのに、ぶしつけで唐突な感じがある。

これは「モノローグ・独白・独り言」に近い。〈私〉(保知)の手紙でありながら、〈私〉(太宰)の「独白」とも取れるのである。

作品構成上の破綻2「〈私〉の境遇」

~無条件降伏と同時に、生れた土地へ帰って来ましたが、既に家は焼かれ、父と兄と嫂と三人、その焼跡にあわれな小屋を建てて暮らしていました。母は、私の中学四年の時に死んだのです。さすがに私は、焼跡の小さい住宅にもぐり込むのは、父にも兄夫婦にも気の毒で、父や兄とも相談の上~青森市から二里ほど離れた海岸の部落の三等郵便局に勤める事になったのです。

(34ページ)

ここに『故郷喪失』の共通点を読み取る。

義絶されていながら『罹災者』として間借りしていた太宰の境遇と一致する。また、保知の実際の住所は「茨城県水戸」であり、太宰が意図的に自分とよく似た境遇の設定をしているとも考えられる。

作品構成上の破綻3「敗戦、無条件降伏前後での矛盾」

~終戦までただもう毎日々々、穴掘りばかりやらされていましたが~そうしてあなたに手紙を差し上げたくて、ペンを執ってみた事が何度あったか知れません。けれども、拝啓、と書いて、それから、何と書いていいのやら、別段用事は無い、、、、、、、のだし、それに私はあなたにとってまるで赤の他人なのだし、ペンを持ったままひとりで当惑するばかりなのです。
~やがて、日本は無条件降伏という事になり~再び胸のつぶれる思いが致しました。~とにかく手紙を、書きしたためる事にしたのです。こんどは私も、拝啓、と書いただけで途方にくれるようなことはないのです。なぜなら、これは用事の手紙、、、、、ですから。しかも火急の用事、、、、、です。教えていただきたい事があるのです。本当に困っているのです。

(35ページ~ 36ページ)(傍点沖田)

今作品の根幹をなす手紙の執筆意図に大きな隔たりがある。

別段用事は無い、、、、、、、」といいながら、それも同じ手紙文中で「火急の用事、、、、、」と言うのである。たしかに、戦中と戦後では気持ちに大きな変化が生じたといっても、別段特に「破綻」とまでは言えないのかもしれない。だが、むしろだからこそ、ここでの「転換」が、太宰自身に生じたものだと言っても逆説的によいのである。だから、私はここに太宰自身の「火急の用事、、、、、」を読み取るのである、これが今小論の核心と言える。

作品構成上の破綻4「太宰自身の苦悩」

しかもこれは、私ひとりの問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあるような気がしますから、私たちのために教えてください。

(36ページ)

先に挙げた昭和21年9月30日付 保知ほち勇二郎宛葉書と一致する。つまり、当初の太宰の作品モチーフをここに述べたのである。

これは、敗戦当時の若者の苦悩と言うより、この苦悩を太宰も、また敗戦直後の日本人全体も持っていたと考える。太宰の他の作品を見てみると、「東京八景」(昭和16年)では『苦しい過去の日々』から『現在の平凡なつましい日々』に至る心の変遷が独白され、現在が肯定されている。しかしこの心境が今作品同様敗戦によって様変わりするのである。「パンドラのはこ」(昭和20年)での『かるみ』に見られる「すべてを失ひ、すべてを捨てた者の平安」への転換である。また「苦悩の年鑑」(昭和21年)での『変遷する時代風潮に対する、底辺からの生活感覚に基づいた痛烈な批判』につながる。

また、太宰の『自分を生れついての疎隔者とすることで社会風潮を批判する方法』(安藤宏「太宰治 弱さを演じるということ」ちくま新書平成14年)から見ても、あえて最後に「無学無思想の男」と説明される〈某作家=太宰〉こそが、この方法に一致する。

つまり、〈私〉=時代の若者=太宰の苦悩を書くことで、時代批判をし、さらに敗戦後の太宰を貫く、「無頼派」に特有の「すべてを失ひ、すべてを捨てた者の平安」という『かるみ』が表現されているのである。これは、今作品末尾の「マタイ伝」の引用からも実証されるのである。

 

作品構成上の破綻5「〈私〉と〈あなた〉の反転」

なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙の半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。~そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです、、、、。しかし、トカトントンだけは、ウソでないようです、、、、。読みかえさず、このままお送り致します。敬具。

(53ページ)(傍点沖田)

ここでまず、「ウソ」とせざるを得ない理由を『作品構成』上の都合から考えると、保知勇二郎の手紙から想を得た作品である以上、「ウソ」となるのは必然的である。また、「ようです、、、、」と『伝聞体』としていることもそれを裏付けている。

しかし、保知からのものということをここで暴露する、作品内容上の必然性はない。そもそも最初から『不躾で唐突な』手紙を送っているのだから、その暴露は、「憧れの〈某作家〉」にいっそう不信感を抱かせるだけで、〈私〉にとってなんら得るものはないはずだ。

それにもかかわらず、それでも、「ウソ」と暴露する理由はただ一つだと考える。それは、〈私〉像として設定されてきた〈私〉をここで、いったんリセットする必要があったのである。つまり、「私の独白」という隠されたメッセージの暗示のために、「〈私〉と太宰の融合」を作品内容から確立したのである。〈私〉が執筆者太宰の意志を反映する登場人物だったことの明示である。このことが最終段落の「気取った苦悩」、「いかなる弁明も成立しない醜態を君はまだ避けているようですね」という〈某作家〉の返事が、実は太宰自身に向けられたものであることを予定するための「ウソ」だったのである。

作品構成上の破綻6「結び・某作家の返事」(最終段落)

拝復。気取った苦悩ですね。僕はあまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものなのです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂たましいをころし得ぬ者どもを、懼るな、身と霊魂たましいとをゲヘナにて滅し去る者をおそれよ」~このイエスの言に、霹靂を感ずる者が出来たら、君の幻聴は止む筈です。  不尽

ここにこそ、最大の破綻がある。

ここで、5で指摘したとおり、〈私〉がここまでの手紙送付者ではなくなってしまっていることで、〈某作家〉のメッセージは、相手を見失って宙に浮き、むしろ〈某作家〉自身へと向けられることになるのである。つまり太宰の自戒を込めたメッセージとなったのである。ここに、先に示した「自己を生まれついての疎隔者とするための意図的トリック」の設定がなされたのである。

〈某作家〉を「無学無思想の男」としたのも、この〈私〉からの憧憬を集めた〈某作家〉自身を「疎隔者」とすることで「社会批判」の立ち位置を担保しつつ、〈私〉と同様の苦悩を抱える太宰自身を明示したのである。

このことで、最後に引用されたマタイの「身を殺して霊魂たましいをころし得ぬ者どもを、懼るな、身と霊魂たましいとをゲヘナにて滅し去る者をおそれよ」が、結局、1で指摘した「作中の〈私〉と〈あなた〉の相対的な関係性」が崩れ、「語り手」を仲介とした『堕落』という「メッセージ」の普遍化が達成されたのである。その結果「語り手」太宰自身の『堕落』をも暗示したことになるのである。さらにこの『堕落』の「普遍性」から逆照射される形で、「ゲヘナにて滅し得る」という『理想』を切望しつつも、『現実』に生きざるを得ず、「身を殺して霊魂たましいをころし得ぬ者」である自分を問題視する「語り手太宰自身の苦悩」が浮かび上がるのである。またそれが作品全体の持つ『敗戦直後の風潮への批判』のイメージを支えているのであった。

参考文献

◎筑摩書房版「太宰治全集」第十一巻 昭和46年1月
◎奥野健男編「太宰治研究Ⅰ」昭和53年 筑摩書房
◎坂部恵「かたり」平成2年11月 弘文堂
◎東郷克美編「太宰治事典」平成6年5月 「別冊國文学」学燈社
◎安藤宏「太宰治 弱さを演じるということ」ちくま新書平成14年


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