[古文]受験古文指導における全訳不要論について

葛西佑也先生のブログ「ことばのやわらげ。」からの転載です。
はじめに

今回は、古文の全訳不要論について私の考えをお話しようかと思います。

大学受験指導の場や、参考書・問題集などを拝見しておりますと「全訳不要」「全訳をしないのが特徴です」という言葉を目にしたり耳にします。

このことについて、私の受験指導経験と自身の古文学習経験から思うことを自由に述べようと思います。

本当に全訳は不要か?

限られた試験時間内で古文の問題を解かなければならないという入試の場では、全てを細かく丁寧に訳して読むことは不可能だと思います。そういう意味では全訳は不要でしょう。

しかし、このことによって、普段の学習においても古文は全訳は不要なので、適当にわかるところをつぎはぎで読んでよいということにはならないと思います。実戦の場ではある程度、全訳不要と言える場面もあるが、普段の学習・古文を読めるようになるプロセスの一つとして、全訳は有益なものだと私は考えます

 

学校と受験のギャップ?

学校の授業では、全訳を課されたり、全訳を覚えていることが前提でテストが作られているなどという話をよく耳にします。それは、学校や先生によって様々でしょうから、本当のところは、こうだと言い切るのは難しい。しかし、そういうイメージを持たれている面はやはりあるようです。そして、予備校や塾などでは、その学校での学びを「そんなの無駄だ、点が取れないやめろ」と声高に言うケースもあるようです。

学校の話にせよ、予備校・塾での話にせよ、あくまで、そういうケースがあるというだけで、全てがそうだと申し上げているわけではない点をご承知ください。

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