野上弥生子は、二十二歳のときに夏目漱石に紹介されて、処女作『縁』を『ホトトギス』に発表した。その際、夏目漱石が高浜虚子に「明治の才媛が未だ嘗て描き出し得なかったうれしい情趣」をあらわしたと最大の賛辞を惜しまなかった。その賛辞の理由は、彼女の作品の随所に見られる漱石譲りの写生文体であった。写生文の的確な対象把握と、感情に溺れることのない理性的な筆致ゆえの「情趣」であった。野上弥生子のこの詠嘆を抑えた冷徹な知的観察力によって、今テーマの二作、「大石良雄」と「笛」も的確に描かれている。

両作品のモデルたち

この両作には共通点がある。
それは、岩波文庫版に掲載されている加賀乙彦氏の解説によると、両作ともにモデルとする話や人がいたという点である。『大石良雄』は星野日子四郎氏から「赤穂浪士の復讐の裏面」を聞いたことから創作のきっかけになったのである。
一方『笛』は、長年野上家で働き、息子たちの生育にもかかわったNというお手伝いさんが主人公の「つね」のモデルなったのである。ここに野上弥生子の「写生文」の本領が発揮されていると言えるのである。夏目漱石に学んだものは、写生文に根拠を置くリアリズムとともに、当時の自然主義文学とは違い、ただ取材したものを再現するのではなく、そこに作者独特の倫理観と人生観に基づく人物像に特徴がある。

「大石良雄」の人物像――「忠義の人」像の否定

『大石良雄』では、まず、巷間の常識となった「忠義の人」像の否定である。つまり、四十七士の首領として思慮深く計画を練り、世間を欺くために放蕩を繰り返しつつも、執念深く、しかも周到に本懐を遂げた英雄像の虚偽を暴露して見せたのである。野上弥生子の生きた時代にも、未だに通底していた伝統的な武士社会の論理を、男社会にしか通じない美談として冷静に否定したのである。
有名な「大石内蔵之助」ではなく、実名の「大石良雄」と題名をつけ、敵討ちよりも隠棲する山科の四季を彩る自然にむしろ愛着を感じる温和な人間像が描かれる。その彼がいかにして敵討ちの首領へと「追い込まれ」ていくのかが巧みな心理描写で描かれる。

作品前半で「内蔵之助」は敵討ちの連判状に名を連ねる人々を冷静に三つに分類している。

「第一は飽くまで忠義心でかたまった人々」
「第二ははじめから復讐の決心はないのであるが、その実行までには多分大学の一身が有利に解決するであろうから、その時除け者にされまいとして加わった人々」
「第三は単なる忠義心というよりは復讐そのものに伝統的な美と憧憬を感じ、この機会に自分たちの手でそれを実行することによって、無為安逸な泰平の惰眠を驚かしてやろうという、冒険的な熱情から出発した人々」

である。
これらいずれの組にも内蔵之助は入る場所がなく、むしろ、忠義や義務、責任という激しい響きを持つことばと一切関係なく、「空虚な、何んにも背負わされない気持で、あの向うの山でものんきに眺めていたかった」、「ひたすらに安易な束縛のない生活が送りたかった」のである。この内蔵之助の内面暴露の場面が早々にあることで、ここ以降は、第二分類の「自重派」である叔父の「小山源五左衛門」と、第三分類の「急進派」である「江戸の過激な復讐論者である堀部安兵衛」との間で葛藤する内蔵之助の内面が明確化している。

天命としての「自然」

ここに野上弥生子の人生観や自然観が反映されている。
つまり、政治や武士道の価値観とは別次元に、質素だが、自然の中で心豊かな生活を送ることの幸せである。しかし、現実社会でも見られるとおり、なかなか人々はその次元では生きられない。大石内蔵之助も大義名分としてきた「主家の再興」、「浅野大学の御赦免」が果たされず、いよいよ極まった時点で決意する。

少なくとも今の内蔵之助には、復讐は熱情ではなく、単に義務であり、責任であり、運命との約束であるにすぎなかった。ここにも先の人為を超えた別次元の自然観がある。しかしこれは先の自然現象ではなく、「天命」として漱石もよく使用した「自然」である。最後はこのような「天命」に自分の命を預けるしかなかった伝統的な武士社会の問題点を、野上弥生子は冷静に描き切ったのであった。

 

「笛」――家族論を通して描かれる孤独

一方、晩年の作品である『笛』は、戦後日本の「家族論」の体裁をとっている。戦後の家父長制の家族制度の解体にともない、家族はいわゆる核家族への分散を余儀なくされた。これが旧家族制度の中で育った旧世代にとっては耐えきれない孤独となって現れたのである。
主人公の「つね」は、親兄弟はもとより身寄りもない孤児として山形の寒村の寺院内の養育院で育てられた。檀家の牛込の材木問屋田丸家に女中として引き取られ、裁縫などを仕込まれた。その後京浜工業地帯の大工場に勤める陽気で寛大な同郷の「良造」と結婚。二人は所帯をもって何度も住まいを変えつつ、鶴見の労務者用の三部屋の社宅に落ち着いた。「きみ」と「清太」という二人の子供に恵まれ、四人暮らしを楽しんだ。
陽気で話好きな良造は洋楽部に入り、題名にもなったフリュートを吹いた。病弱な良造があまりに熱心に笛を吹き、遠方に演奏しに行くことぐらいしか夫婦喧嘩の種にならないほど仲睦まじい夫婦だった。「満州事変」から「大東亜戦争」になり、工場は兵器工場と化し、疎開話も出たが、戦災を免れた。

そして戦後、混乱の中異様な雑居状態になり、「笛」の行方が分からなくなる。そんな戦後復興の最中、良造は四十過ぎの若さで胃癌に罹り、一年足らずで死んでしまった。その後つねが感傷的に回想するのはいつもこの「楽しかった良造との夫婦生活」であった。この幸福は、良造の死後も子供二人が夫婦になり、新しい家族ができることで再び実現できると考えていた。
しかし現実は悲惨なものであった。娘のきみは、良造の勤めた大工場で働く腕利きの、「新作」と結婚する。きみは当然家の持ち主を娘夫婦に譲り、むしろ居候の形になった。さらに長男の清太が結婚したときに所帯が持てるように裏の空き地に家を建てようと思っていたのに、無口で器用な新作は、乳母車の次に湯殿を作り、その空き地をほぼ削ってしまった。さらに、恩顧のある田丸家の依頼で学園村の住宅で留守番することに、乗り気でなかったつねを、夫婦と子供水いらずで過ごしたいきみが、清太の結婚話に絡めて勧めつつ、追い出した。

これまでのつねはきみと清太をかかえて、何とか生活を保って行こうとするのに精いっぱいであった。それだのに頼まれ物の針を動かいながら、ともすれば過去の感傷めいたおもいに誘いこまれたりするのは新作が来てからで、なおいえば、良造とは似ても似つかぬ彼の拒否的なむっちりに、馴染みがたい寂しさを感じるようになってからである。

 

きみを死に至らしめる「個人主義的家族観」
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